長崎地方裁判所 平成9年(ワ)223号 判決 1998年11月25日
原告
荒瀬イクエ
外二二名
原告訴訟代理人弁護士(全原告につき)
浅井敞
石井精二
井上博史
梅本國和
小野正章
北穠郎
古原進
小林清隆
國弘達夫
熊谷悟郎
迫光夫
塩塚節夫
柴田國義
高尾實
龍田紘一朗
永田雅英
中村尚達
中村照美
福崎博孝
松永保彦
峯満
水上正博
森永正
山元昭則
横山茂樹
小林正博
原章夫
吉田良尚
河西龍太郎
東島浩幸
本多俊之
宮原貞喜
諌山博
稲村晴夫
岩城邦治
江上武幸
角銅立身
樺島敏雅
下田泰
立木豊地
馬奈木昭雄
三浦久
村井正昭
山本一行
小宮学
原田直子
深堀寿美
松岡肇
吉田孝美
鍬田萬喜雄
千場茂勝
井上聡
伊藤明生
猪股正
小野寺利孝
島田浩孝
鈴木剛
高木太郎
土田庄一
野本夏生
山下登司夫
安江祐
山本高行
横山聡
飯田伸一
岡部玲子
影山秀人
鈴木義仁
野村和造
森田明
小関眞
小野寺信一
小野寺義象
鹿又喜治
草場裕之
齋藤信一
齋藤拓生
杉山茂雅
高橋輝雄
山田忠行
三津橋彬
伊藤誠一
長野順一
太田賢一
田中貴文
同(原告番号<省略>の各原告につき)
枝川哲
川真田正憲
木村清志
津川博昭
林伸豪
吉成務
同(原告番号<省略>の各原告につき)
魚住昭三
原告訴訟復代理人弁護士(全原告につき)
肘井博行
被告(全事件につき)
日鉄鉱業株式会社
右代表者代表取締役
吉田純
被告訴訟代理人弁護士(全事件につき)
山口定男
関孝友
三浦啓作
松崎隆
奥田邦夫
主文
一 被告は、別紙二原告別認容金額一覧表「原告氏名」欄記載の各原告に対し、同表「認容金額(円)」欄中の「合計」欄記載の各金員及びこれに対する同表「遅延損害金起算日(平成)」欄記載の各日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを四分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は、別紙三原告別請求金額一覧表「原告氏名」欄記載の各原告に対し、同表「請求金額(円)」欄記載の各金員及びこれに対する同表「遅延損害金起算日(平成)」欄記載の各日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、被告(被告と合併した法人を含む。)が経営していた炭鉱で粉じん作業に従事し、そのためじん肺に罹患したとする元従業員およびその遺族らが、被告に対し、雇用契約上又は信義則上被告(前同)が負うべき健康保持義務、安全配慮義務の不履行に基づき、損害賠償を求めた事案である。
一 前提となる事実
1 当事者
(一) 被告
被告は、昭和一四年五月二七日、鉱業等を目的に、日本製鉄株式会社(以下「日本製鉄」という。)から分離・独立して設立された株式会社であり、同年八月一〇日、北松鉱業所を設立して炭鉱の経営にあたり、さらに昭和二九年一〇月一日には嘉穂長崎鉱業株式会社(以下「嘉穂長崎鉱業」という。なお、嘉穂長崎鉱業は、昭和二八年、嘉穂鉱業株式会社(以下「嘉穂鉱業」という。)と長崎鉱業株式会社(以下「長崎鉱業」という。)が合併してできた会社である。)と合併して、それまで嘉穂長崎鉱業が経営していた伊王島鉱業所及び嘉穂鉱業所も併せて経営するようになった(以下、被告及び嘉穂長崎鉱業の両社(嘉穂鉱業と長崎鉱業の合併前においてはこの両社と被告の合計三社)を「被告等」という。また伊王島鉱業所、嘉穂鉱業所及び北松鉱業所の三鉱業所を「本件鉱業所」という。)。なお、被告は、本件鉱業所のほか炭鉱として二瀬鉱業所等を経営していたほか、複数の金属鉱山も経営していた。(争いなし。)
(二) 原告ら
(1) 亡荒瀬一、原告岩永健、同岩永實、同亀田健、同黒木巖、亡小瀬良喜代喜、原告新立義光、亡竹田吉満、原告中ノ瀨一夫、同藤井誠、同吉井利光、同岩﨑英也、同竹本幸定及び同松山年治は、被告との雇用契約(ただし、伊王島鉱業所での就労については、昭和二八年までは長崎鉱業との、同年から同二九年九月までは嘉穂長崎鉱業との雇用契約である。また、原告新立義光の昭和三八年四月から同四五年二月までの就労は、被告の下請企業であった昭栄土建株式会社(以下「昭栄土建」という。)との雇用契約であった。なお、右原告らに亡荒巻茂文を加えた一五名各人を、以下「元従業員原告」ともいう。)に基づき、また、亡荒巻茂文は、昭栄土建との雇用契約に基づき、それぞれ別紙四元従業員原告ら就労状況一覧表「炭鉱名」欄記載の各炭鉱において、概ね同表「期間(昭和)及び作業内容」欄記載の各期間、同欄記載の各作業に従事した。(<証拠略>)
(2) 亡荒瀬一は、平成五年七月二八日、死亡した。原告荒瀬イクエは亡荒瀬一の妻であり、原告荒瀬清は亡荒瀬一の子のうち存命している五人の中の一人である。(<証拠略>)
(3) 亡小瀬良喜代喜は、平成九年一二月二日、死亡した。原告小瀬良ハセは亡小瀬良喜代喜の妻であり、原告小瀬良美喜雄及び同松岡かやのはいずれも亡小瀬良喜代喜の子である。(<証拠略>)
(4) 亡竹田吉満は、平成五年九月二日、死亡した。原告竹田英夫、同竹田義則及び同竹田惠三は、いずれも亡竹田吉満の子である。なお、亡竹田吉満の妻シズ子は、平成二年一月三〇日、死亡した。(<証拠略>)
(5) 亡荒巻茂文は、平成七年五月一七日、死亡した。原告木下妙子、同荒巻邦弘、同楠田きみ子及び同荒巻利美は、いずれも亡荒巻茂文の子である。なお、同人の妻サカエは、昭和四八年一二月二七日、死亡した。(<証拠略>)
2 本件鉱業所の概要
(一) 伊王島鉱業所
伊王島鉱業所は、長崎布内から海路約一〇キロメートル沖合の伊王島及び沖の島並びにその周辺海域にまたがって所在し、昭和一六年二月一一日に長崎鉱業により伊王島炭鉱として開坑され、同一九年八月ころ出炭が始まったが、同四七年三月に閉山となった。この間、昭和二八年に嘉穂長崎鉱業ができてからは同社の経営となっていたが、同二九年一〇月一日、同社との合併により被告が経営を引き継いだ(争いなし。)
稼行層は、高島層群中の端島夾炭層と呼ばれる地層にあり、上層(上部から順に五尺層、三尺層)と下層(上部から順に十尺層、二尺層、十一尺層)に分かれていた。上層では、卸坑道(本卸及び連卸を指す。)、片盤坑道(幹線坑道から各採炭切羽へ通じる坑道を指す。)とも炭層中に坑道を展開する沿層坑道であり、岩石坑道はほとんどなかった。一方、下層では、主に十一尺層下の岩石層に本卸(入気坑道)、連卸(排気坑道)を掘進し、それぞれから片盤坑道を同じく岩層中に掘進、これを岩石坑道で結んで通気の流れを作ったあと、肩(炭層の傾斜のうち上部を指す。)側と深(炭層の傾斜のうち下部を指す。)側の両片盤坑道からそれぞれ炭層に向かってクロスするクロス坑道を掘進し、同坑道が炭層に当たったところから、沿層坑道を展開していた(この場合、通気は、本卸から深側の片盤坑道を通り、採炭切羽を経て、肩側の片盤坑道を通って連卸へ抜けた。)なお、昭和三六年に新たに排気立坑が開さくされ、連卸も入気坑道となった。(争いなし。)
また、稼行鉱区は四つに区分されており、このうち通称雪卸、竹卸、三尺卸及び花卸を含む、通称「灰の脇断層」と「第一断層」に囲まれた第一区では、本卸及び連卸を坑口から海抜マイナス二〇〇メートルの五尺層まで掘進し、そこから各区域採掘のために水平幹線坑道である富士坑道が展開された。昭和三〇年六月ころ終掘となった後、閉山前の約一年間残炭払がなされた。第二区は、第一断層を境にして第一区の西側に隣接しており、更に西側の「第二断層」と北側の灰の脇断層によって区画され、通称第三卸、第四卸及び第五卸がこれに含まれた。この区域では、三尺層を卸及び片盤坑道で採掘し、下層は、富士坑道から四卸を掘進して同三四年四月ころから同三九年ころにかけて採掘がなされ、一旦終掘となった後、閉山前の数年間残炭払がなされた。第三区は、第二区の西側の第二断層を境にその西側に位置し、通称一一卸がこの区域に含まれ、同三五年ころから同四六年ころまでの間採掘が行われたが、出水により五尺層は採炭できなかった。第四区は、第一区及び第二区の北側の灰の脇断層以北の区域にあたり、同四三年五月ころから閉山直前まで採掘された。海面からの深度は、二区、一区、三区、四区の順に深くなり、最深部は、ほぼ海抜マイナス六〇〇メートルであった。(争いなし。)
昭和二四年には甲種炭坑(石炭鉱山保安規則(昭和二四年通商産業省令第三四号 以下「炭則」という。)に基づき通商産業大臣が指定する、可燃性ガス又は爆発性炭じんが多い炭坑を指す。)に指定されており、また、昭和三一年には、十一尺層下の砂岩及び砂質頁岩層並びに四尺層下の砂岩層がけい酸質区域(炭則に基づき通商産業大臣が指定する区域で、掘採作業現場の岩盤中に遊離けい酸分を多量に含有する区域を指す。)に指定された。(<証拠略>)
(二) 嘉穂鉱業所
嘉穂鉱業所は、福岡県嘉穂郡筑穂町に所在し、上穂波鉱及び大分鉱の両鉱からなる。昭和二八年までは嘉穂鉱業の、その後同二九年九月三〇日までは嘉穂長崎鉱業の各経営であったが、同年一〇月一日、同社との合併により被告がこれを引き継いだ。その当時、上穂波鉱には上穂波鉱坑及び笹江坑、大分鉱には大分坑及び第三坑があったが、このうち上穂波鉱の両坑は同三〇年に坑内で連絡されたことから、笹江坑口は同三一年に閉鎖され、その後、同四五年三月には上穂波鉱、大分坑鉱とも閉山となった。(争いなし。)
稼行層は、上部から順に三尺・五尺累層本層群中のスイタ層、下七尺層、九尺層、六尺層、上五尺層(第三坑)、大焼累層中の八尺層、三尺層(大分坑)、大焼累層中の二尺層、五尺層、四尺層(上穂波坑)となっていた。(<証拠略>)
上穂波坑では、本卸及び連卸からそれぞれ水平坑道を左右に展開し、これより卸坑道、昇坑道を設定し、大分坑では、本卸及び連卸からそれぞれ水平坑道を左右に展開し、これより卸坑道を設定し、さらに第三坑では、坑口から水平坑道を掘進し、これより卸坑道及び昇坑道を設定して採炭がなされた。(<証拠略>)
上穂波坑及び大分坑は昭和二四年に甲種炭坑の指定を受けたが、上穂波坑について同四一年八月、大分坑について同四三年九月、右各指定は取り消された。なお、第三坑を含め、いずれの坑もけい酸質区域の指定を受けた箇所はなかった。(<証拠略>)
(三) 北松鉱業所
北松鉱業所は長崎県北松浦郡に位置し、昭和二一年以降、御橋鉱、神田鉱、鹿町鉱等が所属していた。(争いなし。)
(1) 御橋鉱
御橋鉱は、被告によって昭和一六年一二月に開坑された後、同一八年ころには採炭が始まり、これを一坑と称した。その後、同二二年八月ころ二坑が開坑され、同二八年ころ採炭が始まった。二坑の採炭開始に伴って一坑の労働者が二坑に移ったが、同三六年ころには、一部の労働者が再び一坑で就労した。その後、まず、一坑が終掘となり、同四〇年二月には二坑も終掘となって、閉山された。(争いなし。)
稼行層は佐世保層群柚木層の松浦三尺層と呼ばれるものであった。(<証拠略>)
両坑とも甲種炭坑の指定及びけい酸質区域の指定を受けたことはなかった。(<証拠略>)
(2) 神田鉱
神田鉱は、日本製鉄が経営していたのを、昭和一四年の被告の設立とともに被告がこれを引き継ぎ、採炭がなされたが、同三六年ころ終掘、閉山となった。(争いなし。)
稼行層は松浦三尺層であった。(<証拠略>)
甲種炭坑の指定を受けたことはなく、昭和二九年に立入本延付近の岩石部分がけい酸質区域の指定を受けた。(<証拠略>)
(3) 鹿町鉱
鹿町鉱は、西坑、東坑、南坑及び本ケ浦坑からなる炭鉱であって、従来日本製鉄が経営していたのを昭和一四年に被告が引き継いだ。昭和二八年二月に東坑が、同二九年四月に南坑が、同三一年三月に本ケ浦坑が、同三八年三月に西坑がそれぞれ終掘となった。(<証拠略>)
稼行層は佐世保層群柚木層の鹿町三尺層及び同層群福井層三枚物層とよばれるものであった。(争いなし。)
なお、西坑が甲種炭坑の指定を受けており(ただし、同指定は昭和三六年ころ取り消された。)、また、同二八年に西坑の一部が、同三〇年に本ケ浦坑の一部が、いずれもけい酸質区域の指定を受けた。(<証拠略>)
3 本件鉱業所における作業の概要等
(一) 本件鉱業所における作業には、掘進、採炭、仕繰等の坑内作業とそれ以外の坑外作業とがある。(争いなし。)
(二)(1)① 掘進は、岩盤又は炭層に坑道を開さくする作業をいう(岩盤部分の掘進を岩石掘進、炭層部分の掘進を沿層掘進という。ただし、沿層掘進の場合でも、炭層の上部又は下部の岩石部分も一部掘進するのが通常である。)が、その具体的な手順は、まず、コールピックを使用して、あるいはさく岩機等及びダイナマイトを使用して岩盤又は炭層を破砕した(さく岩機とダイナマイトを用いる場合には、まず、さく岩機で層面に直径三ないし四センチメートル、深さ1.2ないし1.5メートルの孔を掘り(さっ孔、穿孔)、そこにダイナマイト及び発破の威力を増強させるための込め物を装填して爆破(発破)を行った。)後、かき板とほげ(ざる様のもの)を用いて、あるいはローダーギャザリング、ロッカーショベル、サイドダンプ等の機械によって、破砕された岩石(硬(ぼた))や原炭を炭車に積み込み(ローダーギャザリングを使用した場合には、まずコンベアーに積み込まれ、コンベアーから炭車に落とし込まれた。)、これを搬出し、さらに、通常の場合であれば、切り開かれた箇所の天盤を支える枠を入れるというものであった。(<証拠略>)
② さく岩機は、通常圧縮空気を動力源として岩石等をさっ孔する機械であって、さっ孔原理の違いにより、打撃式(往復式)、回転式、回転打撃式に分類される。回転式の主たるものにはオーガーと呼ばれるものがあるが、一般にさく岩機といえば打撃式及び回転打撃式のものを指すことが多く、以下において「さく岩機」とは、これらの方式のものをいうこととする。なお、コールピックもさく岩機に分類されることがあるが、これはさっ孔に使用されるものではなく、ここにいう「さく岩機」とは異なる。さらに、さく岩機はさっ孔により生じる繰粉の排出方法の違いにより、乾式、湿式等に分類することもできる(オーガーはすべて乾式である。)。乾式さく岩機は、空気を孔底に噴出して繰粉を排出するものであり、このため、散水等又は乾式さく岩機用収じん機との併用をせずに使用すると、大量の粉じんが発生、飛散することになる(本件鉱業所においては、乾式さく岩機用収じん機は、北松鉱業所において、昭和二八年ころから同二九年ころにかけて、試験的に使用されただけで、実用に用いられたことはほとんどなかった。)、一方、湿式さく岩機は、空気の代わりに水を噴出して繰粉を排出するものであり、その使用によって発生、飛散する粉じんの量は、乾式さく岩機を使用した場合の数分の一程度に抑えられる。(<証拠略>)
また、我が国の炭鉱で使用されるさく岩機は、金属鉱山において使用されるものに比べ、概して小型のものが多く、従来は手持式であったが、後に脚つきのものも導入された。(争いなし。)
③ 発破は、事前に十分な散水を行うなどしないで行うと、極めて大量の粉じんを発生、飛散させた。また、発破の際に使用される雷管には、瞬発式のものと段発式(遅発式)のものとがあり、瞬発式のものを使用した場合、まず、層面の中央部分を爆破した後、周辺部分を数回にわけて爆破させ、その度に結線の作業が必要であったが、段発式のものを使用した場合には、一度の結線で右のように順次爆破することが可能であった。なお、発破の際、掘進夫は、通常数十メートル離れて退避した(掘進以外の作業で発破を行う際も同様であった。)。(争いなし。)
④ 掘進作業により開さくされた坑道の大きさは、主要幹線坑道では四メートルアーチ(有効断面積9.7平方メートル)が多く、その他、3.3メートルアーチ、七尺×七尺、八尺×八尺等があった。(<証拠略>)
(2) 掘進後は採炭を行うが、採掘方式には大きく分けて炭柱式と長壁式(長壁払法)とがある。このうち長壁式とは、本線坑道から数十ないし百数十メートルの間隔で平行に開さくされた片盤坑道の間の炭層を一度に払うものをいい、片盤坑道開さくの進行に合わせて外向きに採掘していく「前進式」と、先に一定の区域まで片盤坑道を開さくした後、本線坑道の方向へ戻る形で採掘する「後退式」とがある。
いずれの場合も、ツルハシによる手掘りのほか、コールピック(圧縮空気を動力源とするもので、先端部分から空気が噴出する。)を使用するもの(以下「ピック採炭」という。)、発破によるもの(以下「発破採炭」という。)、コールプレーナー、スクレーパー、ジブカッター、ホーベル、ドラムカッター等の機械によるもの(以下「機械採炭」という。)があり、採掘された原炭は、スコップ等を用いて、あるいはジブカッター等の機械によって炭車に積み込まれ(ジブカッター等を使用した場合には、まずコンベアーに積み込まれた後、数回のコンベアーの積替を経て、戸樋口とよばれる場所で炭車に落とし込まれた。)、巻揚機による巻揚で坑外へ搬出された。(争いなし。)
このような採炭作業は、通常、鉄柱等で天盤を支持した上で進められるが、その際にカッペと呼ばれる1.2ないし1.4メートル程度の長さの連結式の梁を使用したものをカッペ採炭という。また、採掘する炭層を上下二段又はそれ以上の数段に分け、二〇メートル程度上段の採掘を先行させ、その後で下段の採掘を進めていく方法があり、これをスライシング法という。(争いなし。)
(3) 仕繰作業は、坑道の支保・管理が主であり、その作業箇所は幹線坑道から採炭切羽周辺と坑内全般にわたる。その他、坑道断面を拡大して新しい枠に入れ替える作業、枠種を変更等する作業、枠釜掘り、枠を取り替えずに坑道断面を確保する方法としての下盤の盤打ち作業、不要な坑道枠の撤去、採掘終了箇所の密閉作業、溝さらえ等の作業、巻場(巻揚機を設置する場所)作り等がある。(<証拠略>)
(4) その他の坑内作業としては、坑内機械夫による各種坑内機械の運転及び修理等、坑内工作夫による各種坑内機械の設置及び修理等、車道大工による坑内軌道の設置及び延長、通気大工による風門の取付け及び取外し並びにその開閉、坑内運搬夫による硬及び原炭の搬出等の作業がある(なお、車道大工及び通気大工は坑内大工と総称される。)。(<証拠略>)
(三) 坑外作業には、坑外工作夫による選炭場での機械類の運転等や貯炭場での作業等各種のものがある。(争いなし。)
なお、炭車で坑外に搬出された原炭は、チップラーと呼ばれる施設でポケットに落とし込まれた後、ブレーカーにより松岩(巨大な硬質岩を指す。)が取り除かれ、塊炭はクラシッシャーでつぶされた後、コンベアーで選炭場へ運ばれて分類される。(争いなし。)
(四) これらの作業は、一日二ないし三交替制で行われ、三交替制をとっていた伊王島鉱業所の場合、各労働者の勤務時間は、本来八時間であり、入坑及び昇坑のための時間を差し引くと六時間程度であったが、労働者によってはしばしば残業を行うこともあった。(<証拠略>)
4 じん肺法におけるじん肺管理区分の決定方法及び元従業員原告らに係る同区分の決定(なお、(一)のうち、じん肺法の内容は顕著な事実である。)
(一) じん肺法(昭和三五年法律第三〇号 なお、以下の記載は同五二年改正後の規定である。)によれば、粉じん作業(当該作業に従事する労働者がじん肺にかかるおそれがあると認められる作業をいう。(二条一項三号))に従事する労働者及び粉じん作業に従事する労働者であった者については、じん肺健康診断の結果に基づき、エックス線写真(直接撮影による胸部全域のエックス線写真をいう。(三条一項一号))の像の型(四条一項に規定するもの)とじん肺による著しい肺機能障害の有無の組合せによって、管理一から管理四までのじん肺管理区分(以下「管理区分」という。)に区分される(四条二項)。具体的には、エックス線写真像は、第一型(両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が少数あり、かつじん肺による大陰影がないと認められるもの)、第二型(両肺野に粒状影又は不整形陰影が多数あり、かつじん肺による大陰影がないと認められるもの)、第三型(両肺野に粒状影又は不整形陰影が極めて多数あり、かつじん肺による大陰影がないと認められるもの)、第四型(じん肺による大陰影があると認められるもの)の四つの型に分類され(四条一項)、第一型でじん肺による著しい肺機能の障害がないと認められる場合が管理二、第二型でじん肺による著しい肺機能の障害がないと認められる場合が管理三イ、第三型又は第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る。)でじん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものが管理三ロ、第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一を超えるものに限る。)と認められる場合及び第一型、第二型、第三型又は第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る。)でじん肺による著しい肺機能の障害があると認められる場合が管理四とされる(じん肺の所見がないと認められる場合は管理一とされる。)(四条二項)。
じん肺健康診断では、(1)粉じん作業についての職歴の調査及びエックス線写真による検査、(2)胸部に関する臨床検査(既往歴の調査並びに胸部の自覚症状及び他覚所見の有無の検査)及び肺機能検査(スパイロメトリー及びフローボリューム曲線による検査並びに動脈血ガスを分析する検査)、(3)結核精密検査(ツベルクリン反応検査等)等が行われ(ただし、(2)及び(3)の検査は、前記労働者のすべてに対して行われるわけではなく、(2)のうち肺機能検査は、これに先立ち胸部に関する臨床検査や(3)の検査が行われ、その結果合併症にかかっていると認められた場合には行われないことになっている。)、その結果一般の医師がじん肺所見があると判断した者につき(じん肺健康診断の結果、一般の医師がじん肺の所見がないと診断した者は、以下の手続を待たずに管理一とされる。)、エックス線写真及びじん肺健康診断の結果を証明する書面(以下「結果証明書」という。)を基礎として、じん肺に関し相当の学歴経験を有する医師の中から労働大臣が任命した地方じん肺審査医の診断又は審査によって、都道府県労働基準局長が管理区分の決定を行う(三条、一二条、一三条一項、二項、一五条、三九条四項、同法施行規則四ないし八条)。したがって、都道府県労働基準局長が行う右決定は、地方じん肺審査医の診断又は審査の結果に拘束されることになる。なお、肺機能検査のうち、スパイロメトリー及びフローボリューム曲線による検査は、いずれも被験者に最大限の吸気と呼出を行わせるなどして行うもので、スパイロメトリーによる検査においては、パーセント肺活量(肺活量を身長及び年齢から算出される肺活量基準値で除した商と一〇〇の積)及び一秒率(最大吸気後、できるだけ速く、かつ、できるだけ一気に呼出させた場合に呼出開始から一秒間に呼出されるガス量(一秒量)を、最大吸気後の呼出により排出される総ガス量(努力肺活量)で除した商と一〇〇の積)を、フローボリューム曲線による検査においては、Vドット二五(呼出開始後呼出ガス量が努力肺活量の七五パーセントになった時点における最大呼出速度)を算出するものである。(<証拠略>)
また、じん肺の合併症(じん肺と合併した肺結核その他のじん肺の進展経過に応じてじん肺と密接な関係があると認められる疾病をいう。(二条一項二号))として、同法施行規則一条により、肺結核、結核性胸膜炎、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症及び続発性気胸が定められており、管理四の決定を受けた者及び合併症にかかっていると認められる者については、療養を要するものとされている(二三条)。
(二) 同法に基づき、元従業員原告らは、それぞれ、別紙五元従業員原告らじん肺管理区分等一覧表記載のとおり、管理区分の決定を受け、合併症の認定を受けた。(<証拠略>)
5 原告らの被告に対する損害賠償の請求
原告荒瀬イクエ、同荒瀬清(甲ハ七の1により、同原告は、原告荒瀬イクエに被告への損害賠償請求を委任し、原告荒瀬イクエが同荒瀬清の請求を代理したものと認められる。)、原告岩永健、同岩永實、同黒木巖、同中ノ瀨一夫、同藤井誠及び同吉井利光は、本件訴訟提起に先立ち、弁護士熊谷悟郎作成の通知書をもって、じん肺にかかったことを理由として、被告に対し、各三〇〇〇万円の損害賠償を請求しており、右通知書は、平成八年一月一九日、被告のもとに到達した。(<証拠略>)
また、右八名を除く原告らの訴状は、別紙二原告別認容金額一覧表「遅延損害金起算日(平成)」欄に記載の各日の前日に被告のもとに送達された。(当裁判所に顕著)
二 争点及びこれに対する当事者の主張
争点1 本件鉱業所の坑内環境及び各種作業の実態と粉じんの発生、飛散の状況等
(原告らの主張)
1 伊王島鉱業所
(一) 坑内環境一般
一般に通気が悪く高温であり、一部稼行区域を除き概ね乾燥していた。
(二) 掘進
(1) 岩石掘進の場合、一つの掘進現場(一先)で同時に三台のさく岩機を使用し、堅いところで四五本、そうでないところでも約三〇本のさっ孔を行った。手持式さく岩機の場合には、一台につき三人の掘進夫がついていたが、脚つきのものが導入された後は、三台を四人で稼働させた。これに対し、沿層掘進の場合は、一先で二ないし三台のさく岩機を使用し、一二ないし一八本のさっ孔をした。
(2) 右さっ孔に使用したさく岩機はほとんど乾式のものであり(採炭、仕繰で使用する場合も同様。)、また、さっ孔前に散水が行われることはなかったため、さっ孔により大量の粉じんが発生、飛散した。
(3) 発破後は、破砕されて生じた岩石粉じんや堆積していた粉じんが坑内にもうもうと舞い上がった。しかし、掘進夫は、発破後五分もたたないうちに、まだ粉じんが舞い上がっていて先が見えない坑道を、キャップランプを頭から外して地面に近づけて足下を照らし、手探りで延先へ戻って行った。
延先へ戻った掘進夫は、まず風管先又はさく岩機のエアホースを向けて粉じんを払い散らし、硬が頭を出したあとに硬積みに取りかかったが、その際にも粉じんが飛散し、特に炭車に硬が落とし込まれるときには大量の粉じんが飛散した。
(三) 採炭
(1) 基本的には、第一区雪卸(昭和二六年一二月終掘)、竹卸(同二八年一月終掘)及び第二区第三卸の一部では前進式長壁払法により、それ以外は後退式長壁払法によっていた。前進式長壁払法をとった場合、先行する深側の沿層掘進現場で発生する粉じんが、採炭切羽を通過して肩側へ抜けていった。なお、払長は八〇ないし一四〇メートルであり、一払あたりの採炭夫は二〇ないし三〇名であった。
(2) 第一区雪卸、竹卸、三尺卸及び第二区第三卸の一部ではピック採炭のほか、発破採炭が行われた。その他の稼行区域では、当初は基本的にはピック採炭であったが、炭層が硬くてピック採炭ができない箇所や天盤のつきものを発破で崩落させる必要のある箇所において、あるいは松岩が炭層中に発現したときにこれを破砕する場合や断層が発現した場合などにおいては、発破を行った。
(3) 発破採炭の場合、切羽を約一五メートルの区画毎にさく岩機でさっ孔した後発破を行って炭層を破砕し、次いで肩側の区画に移動して同様の手順で炭層を破砕し、採掘した原炭を昭和二九年ころまではスコップで、それ以降ロッカーショベル等の機械でコンベアーに積み込み、これを坑外に搬出したが、その際、さく岩機によって一度に七〇ないし八〇本のさっ孔を行ったため、大量の粉じんが発生、飛散したほか、発破やその後破砕された原炭をコンベアーに積み込む際にも大量の粉じんが発生、飛散した。
また、発破跡の切羽ではコールピックを使用して原炭を落とす作業を行ったが、その際、コールピックから噴出する圧縮空気によって粉じんが飛散したほか、天盤のつきものの落下や天盤そのものの崩落によっても大量の粉じんが発生、飛散した。
ピック採炭の場合でも、コールピックから噴出する圧縮空気により粉じんが飛散した。
(4) 昭和三四年になると第二区第四卸の一部でホーベルが導入され、次いで同三八年ころにはジブカッター及びドラムカッターが導入され、採炭切羽内での粉じん発生量は飛躍的に増加した。ジブカッター、ドラムカッターの使用に伴い発生する粉じんの量は特に多く、傍らの鉄柱すら見えなくなるほどであった。
また、これらの採炭機械導入後も、松岩が出現した場合のほか、ステーブル作り(機械の動力源や矢玄を設けるために切羽の肩・深の両端を切り広めることを指す。)場合や、しゅう曲のために天盤が下がっていてこれを破砕しなければならない場合、断層が発現した場合、ドラムカッターやジブカッターでは採掘できない上部の炭層部分を崩落させる場合には、さく岩機によるさっ孔及び発破も行い、大量の粉じんが発生、飛散した。
(5) コンベアーから戸樋口で炭車に原炭が落とし込まれる際にも大量の粉じんが飛散した。
(6) 採炭後は、人為的に天盤を崩落させる「跡ばらし」の作業が行われたが、その際にも大量の粉じんが発生、飛散した。
(7) 昭和三六年ころ以降、カッペ採炭が導入され、長い切羽を維持してさっ孔、発破、積込み、立柱及び抜柱の各作業を同時に行うことが可能となったため、一つの切羽内で発生する粉じんの量が飛躍的に増大した。
(8) 切羽は、盤圧のために狭あいになることが多く、その場合には通気が妨げられた。
特に、昭和三〇年ころから、十尺層及び十一尺層の厚層では、二段スライシング法が採用されたが、この場合、下段は、天盤が人工のものであるために弱く、作業に伴う振動等で天盤から砕石や粉じんが落下してくる上、両側の沿層坑道が上段の採掘後の天盤の崩落による盤圧のためにつぶされて極度に狭あいになり、通気が阻害されるために粉じんが滞留したほか、上段の戸樋口からの粉じんも流入するなど、その環境は一層劣悪であった。
(四) 仕繰
(1) 排気坑道には、その坑のすべての掘進現場、採炭現場等の作業で発生したあらゆる粉じんが集中して通過しており、入気坑道も、巻揚機による巻揚により、入気に逆らって相当の速度で疾走する炭車から吹き飛ばされた大量の粉じんが浮遊していた。
沿層坑道では、風管や局所扇風機によって強制通気が行われるため、掘進延先からさっ孔及び発破により発生した粉じんが逆流して排気坑道に浮遊していたほか、戸樋口で落下する原炭からも大量の粉じんが発生し、付近の作業現場に浮遊していた。
これらの粉じんは、坑道の天盤、側壁、下壁はもとより、枠の周囲に厚く堆積し、乾燥した場所では衝撃や振動、爆風等によって舞い上がりやすい状態になっていた。
(2) 仕繰作業自体においても、坑道に落盤や側壁の崩落が生じた場合には、コールピックを使って破砕し、掘進における硬積みと同様の作業を行い、また、盤膨れや天盤及び側壁の掘さく、枠釜堀り等ではさく岩機やコールピックを使用し、発破を行うこともあった。
また、巻場作りではさく岩機を使用してさっ孔後、発破、枠入れを行い、掘進作業と変わらない粉じんが発生、飛散した。
さらに、通常の枠の入替や補修作業においても、枠そのものや側壁、下盤に堆積していた粉じんが飛散したほか、使用されなくなった坑道に設置されている鉄製アーチ枠や坑木、鉄製レール軌条、ポンプ等の撤収作業においては、通気もなくガスが滞留しているため、さく岩機に使う圧縮空気を吹き散らせて換気を行わなければならなかったが、これによって堆積していた粉じんが飛散し、さらに、鉄枠の撤去作業においては、それによって天盤及び側壁が崩落するため、大量の粉じんが舞い上がった。
(五) その他の坑内作業
坑内大工、坑内機械夫及び坑内運搬夫の各作業は、掘進、採炭又は仕繰の現場で行うものであり、そこには大量の粉じんが浮遊していた。
(六) 貯炭場での積込作業
坑外に搬出され、選炭場で分類された石炭は、コンベアーで運搬船の船着場近くにある貯炭場へ運ばれて山積みされた。貯炭場の下には地下道があってここにもコンベアーが通っており、四〇ないし五〇センチメートル四方の開閉口(ホッパー口)を開けて石炭を落下させると運搬船まで運ばれる仕組みとなっていた。しかし、ホッパー口を開けただけではその真上にあった石炭が落ちるだけであったため、坑外作業夫がブルドーザーを運転し、残った石炭をホッパー口に押しやったが、その際、大量の粉じんが飛散した。
なお、ブルドーザーには窓もあったが、山積みされた石炭は日光を浴びて熱を持っており、これを崩すと熱風が吹くため、冬の間や雨の日以外は窓を開けて作業に従事せざるを得ず、またたとえ窓を閉めていても、運転席の下の操作レバーの辺りには隙間があるため、粉じんは車内に入ってきた。
2 嘉穂鉱業所各鉱
昭和三〇年にはコールカッターが導入され、これによる採炭が始まり、その場合にも粉じんが発生、飛散した。その他の坑内各作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であった。
3 北松鉱業所
(一) 御橋鉱
岩石掘進では二五ないし三二本、沿層掘進では炭座に九本、下盤に六ないし一〇本のさっ孔が行われた。
採炭については、昭和一九年には既にストレートジブカッターも使用していた一方で、昭和二〇年代の前半ころまではツルハシによる手掘りも行った。その後、同三〇年代半ばにベントジブールカッター、同三一年ころにスクレーパーがそれぞれ導入された。スクレーパーの使用によっても大量の粉じんが発生、飛散した。
その他の坑内作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であった。
(二) 神田鉱
さく岩機は昭和二一年ころ導入された。昭和三〇年ころまでの掘進は沿層部分だけであって、その際、一部ではオーガーも使用していた。発破後に散水が行われることもあったが、週に一ないし二回程度にすぎなかった。その他の坑内作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況は伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であった。
(三) 鹿町鉱
(1) 掘進
岩石掘進では、さっ孔にノミと石刀、セーランを使用していたこともあり、その場合にはさっ孔によって大した量の粉じんは発生しなかったが、その後さく岩機が導入された。また、沿層掘進ではツルハシで炭層を落とした後、発破を行った。その他の掘進作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況は伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であった。
(2) 採炭
採炭では、各坑でスクレーパーを使用していたほか、ツルハシ(西坑、東坑、南坑)、コールピック(西坑)、コールプレナー(西坑、東坑)も使用した。
ツルハシによる掘進、採炭の場合、さく岩機によるさっ孔や機械採炭の場合に比べれば、発生する粉じんの量は少なかったが、ツルハシを炭層に打ち込むときや、スコップで原炭をコンベアーに積み込むとき、炭車に原炭を落とすときには粉じんが発生した。
しかも、稼行層である鹿町三尺層及び三枚物層の山丈は六〇ないし七〇センチメートル、払の長さは八〇ないし一〇〇メートルであって、その中で三〇ないし三五名の採炭夫が一度に作業を行っており、切羽内には大量の粉じんが浮遊していた。
その他の採炭作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況は伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であった。
(3) 坑内機械作業及び坑内工作作業
排気坑道での作業の場合はもちろん、そうでない場合にも各作業現場で発生した粉じんが浮遊していた。坑内機械作業の場合、入気坑道を疾走する炭車からも粉じんが流れてきたし、坑内工作作業の場合、機械の修理をすると、堆積していた粉じんが飛散した。
(4) 選炭場での作業
選炭場では、大量に運ばれてくる炭車の周囲を粉じんが舞っていた上、チップラーでは原炭が落とし込まれる際、大量の粉じんが飛散した。
(被告の主張)
1 伊王島鉱業所
(一) 坑内環境一般
採掘による亀裂からの透水や浸水等が多く、また岩石に含まれている化石水により、極めて湿潤であった。また、温度は概ね三〇度以下であった。
従来から、ガス排除のための主要扇風機としてターボ型三〇〇馬力(風量毎分四五八五立方メートル)を設置するなどして十分な通気を確保していたが、排気立坑の開さく後は対偶式通気方式を採用し、主要扇風機を二段プロペラ型四〇〇馬力(同五五〇〇立方メートル)に取り替えた。
また、主として五ないし一〇馬力の局部扇風機を設置した上、常時延先から七メートル以内まで風管を延長することにより、掘進延先にも十分な通気を確保していた。
(二) 掘進
(1) 一先でのさく岩機の使用は、八尺×八尺及び七尺×七尺の坑道では手持式の場合一台だけで、脚つきのものが導入された後も一ないし二台であった。また、堅いところでも四二本以上さっ孔することはなかった。
(2) 前述のとおり坑内は湿潤であった上、さっ孔前には散水を行っており、さっ孔による粉じんの発生はほとんどなかった。また、昭和三〇年ころからは湿式さく岩機を使用するようになり、ノミ先から噴出される高圧水により粉じん発生は抑制された。
(3) 発破については、中食時発破(食事をする間に行う発破)又は上がり発破(昇坑前に行う発破)を原則としていた。
また、岩石掘進箇所では昭和三〇年ころから、沿層掘進箇所でも同三四年ころからは、散水管を敷設して、発破の前にも十分な散水を行っていたため、発破により堆積粉じんがもうもうと舞い上がることはなく、発生した粉じんも通気により速やかに排除された。さらに昭和四〇年代には、発破の際に使用する込め物として水タンパー(屈曲水筒)を用い、発破による粉じんの発生を抑制するのに効果があった。
発破後は、まず発破係員が硝煙、粉じん等が排除されたのを確認し、ガス測定、天盤点検等の安全確認を行った後、他の作業員が発破箇所に入っており、これら発破係員以外の作業員が粉じんに曝露することはなく、粉じんを追い払う必要もなかった。
雷管は従来瞬発式のものを使用していたが、その後段発式のものを導入した。
(4) 散水は発破後及び硬積み時にも行っており、硬積みにより大量の粉じんが発生することはなかった。
(三) 採炭
(1) いずれも後退式長壁払法によっていた。
また、遅くとも嘉穂長崎鉱業との合併時には、払の中、大肩、落ち口、コンベアーの積替口、ポケット上、戸樋口等で散水(大肩では噴霧)を実施しており、これによって粉じんの発生は抑制された。
(2) 昭和三〇年代半ばまでは、ガスの関係で下層では発破採炭を行っておらず、堅い炭層や松岩が発現した場合であってもコールピックを使用した。また、上層でも昭和三〇年代半ばまでは通常ピック採炭を行っており、発破を行うのは炭質が堅いときや松岩が発現してコールピックだけではこれを除去できない場合だけであり、発破が通常化したのは昭和三八年ころジブカッターを導入した後のことである。また、ドラムカッターやホーベル使用の際にも発破を行うことはなかった。
断層が発現した場合でも、落差が小さければそのまま採炭を継続した。その際発破を利用して天盤及び下盤を削り取ることもあったが、その際に行った発破はその切羽内の一部にすぎなかった。また、そもそも断層部分は湧水や滴水が多く、岩石も軟らかいためほとんどコールピックのみで処理し、発破を行うことはまれであった。
しゅう曲が発現した場合も、落差が小さい断層と同様の措置をとった。
(3) ピック採炭の場合には、炭壁面に十分な散水を行っていた上、ピックからの排気はわずかな量であり、作業夫の手元から出るものであって、粉じんを飛散させることはなかった。
発破採炭の場合でも、さっ孔を行うのは切羽五メートルにつき四ないし五本にすぎなかったし、さく岩機の使用前に散水を行い、使用中も高圧水を噴射していたため、大量の粉じんが発生し、飛散することはなかった。また、さっ孔にはオーガーも使用しており、その場合にはほとんど粉じんは発生しなかった。
ドラムカッターは、昭和三八年ころ二ないし三か月の試用を経て一旦導入したものの、不適の判断に達して使用を中止し、その後、昭和四三年ころにも新型のものを導入したが、これも数か月の使用に止まった。ドラムカッターを使用する場合には、これにより高さ七〇ないし一〇〇センチメートルまでの炭層を掘さくしており、その上はピック採炭によっていた。
ホーベルは、昭和三四年ころ、二尺層において約一年間使用した後、昭和四〇年ころ再び使用したが、再使用するようになってからは、さっ孔、発破の作業を行うのは松岩の除去やステーブル作りのため、あるいは堅い炭層が発現した場合だけであった。
ジブカッター及びドラムカッターは、構造上運転時には切削面に散水が行われるようになっており、ホーベルの運転時にも散水を行っていたから、これらの使用により大量の粉じんが発生することはなかった。また、ジブカッターやホーベルを使用した場合の積込みは機械自体が行っており、スコップによる積込みが行われることはほとんどなかった。
(4) 二段スライシング法は、十一尺層ではほとんど行っておらず、十尺層でも同法をとっていない箇所があった。
二段スライシング法をとった場合、実木積(上段の採掘後、坑道に沿って天盤まで坑木を井桁に積み上げて中に硬を詰め、坑道にかかる盤圧を防ぐ方法を指す。)及び肩及び深坑道の切り上げによって常時沿層坑道を保持していたから、下段が盤圧によって狭あいになることはなく、その通気も、上段と下段の通気量を調整することにより、十分に確保していた。
また、坑内は、上段採掘時の散水及び採炭後の湧水や滴水により十分湿潤であり、かつ緊縮していたので、下段採掘時に天盤から粉じんが発生することはなかったし、上段の戸樋口では十分な散水をしていたので、そこから粉じんが下段に流入することもなかった。
(5) 戸樋口では十分に散水をしていたので、コンベアーから炭車に原炭が落とし込まれる際に大量の粉じんが発生、飛散することはなかった。
(四) 仕繰その他の坑内作業
各作業現場での粉じん発生は、湧水や滴水、散水等により十分抑止されていた上、各種資材の撤去作業前にも散水を行っており、仕繰その他の作業現場に粉じんを堆積、浮遊していることはなかった。また、天盤の支持のため、昭和三八年末ころからは水圧鉄柱を使用したが、その場合には、抜柱によって水が放出され、散水と同様の効果をもたらした。
また、捲立でも炭車上に十分散水を行っており、炭車から粉じんが吹き飛ぶことはなかった上、そもそも巻揚機による巻揚で炭車が「疾走」することはなかった。
なお、レール軌条の撤収は車道大工が、ポンプの撤収は坑内機械夫がそれぞれ行うものであって、仕繰作業に含まれない。
(五) 貯炭場での積込作業
石炭の品質別の分類は水選機により行っており、その際、粉炭状のものは水とともにシックナーに排出されるのであって、貯炭場へは送られない。したがって、粉炭状の石炭が貯炭場に山積みされていることはなかった。しかも、チップラーでは散水を行っていた上、水選機にかけられたことから、貯炭場へ送られた石炭は、中から大量の水が染み出る状態であった。このため、貯炭場での積込作業により粉じんが発生することはなかった。
2 嘉穂鉱業所各鉱
(一) 坑内環境一般
全域にわたって湧水、滴水等があり(上穂波、大分両鉱の排水量は通常毎分約一〇トン、雨期には約一五トンであった。)、特に浅部採掘箇所では地表水の影響を受けやすく、坑道上盤の亀裂を通して滴水があり、坑内は非常に湿潤であった。
既に昭和三三年の時点で、上穂波坑にシロッコ型三〇〇馬力(風量毎分五六〇〇立法メートル)、大分坑にシロッコ型三〇〇馬力(同五六六〇立法メートル)、第三坑にターボ型三〇馬力(同一三五〇立法メートル)を設置していたほか、切羽の集約化と坑道断面積の拡大により、十分な通気を確保していた。
また、三ないし五馬力の局部扇風機と風管を設置して、掘進延先にも十分な通気を確保していた。
(二) 掘進
ほとんどが沿層掘進であったが、岩石掘進箇所では昭和三〇年ころ、湿式さく岩機の使用を始めた。また、散水管を敷設して散水を開始したのは昭和三四年ころであった。その他作業内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様で、粉じんの発生はほとんどなかった。
(三) 採炭
前述のとおり坑内は湿潤であった上、積替口、戸樋口及び捲立で散水を行った。また、上穂波坑ではさっ孔にオーガーを使用した。その他作業内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様で、粉じんの発生はほとんどなかった。
(四) 仕繰
通常はツルハシとコールピックを使用しており、さく岩機の使用や発破の実施は極めてまれであった。
3 北松鉱業所
(一) 御橋鉱各坑
(1) 坑内環境一般
各坑内は地表水の影響を受けやすく、亀裂を通した滴水が多く湿潤であり、作業現場の温度は最高で二四度程度であった。また、一坑、二坑とも六五馬力の主要扇風機(風量毎分三〇〇〇立法メートル)のほか五ないし一〇馬力の局部扇風機及び風管を設置して通気を確保した。
(2) 掘進
沿層掘進が七ないし八割を占めており、岩石掘進箇所では昭和二七年ころから湿式さく岩機の使用及び散水を始めた。
上がり発破又は中食時発破を原則としており、そうでない場合でも掘進夫は発破後粉じんが排除されてから延先に入っていった。
その他作業内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様で、粉じんの発生はほとんどなかった。
(3) 採炭
滴水のため石炭は濡れ、下盤も湿潤であり、カッターには散水設備があったため、さっ孔、発破、カッター透截、積込み等によって粉じんが発生することはほとんどなかった。その他の作業内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様で、粉じんの発生はほとんどなかった。
(4) 仕繰
巻場作り以外にさく岩機を用いたり発破を行うことはまれであり、コールピックを使用して作業しても粉じんが発生することはわずかであった。また、撤収作業箇所には滴水があり、局部扇風機による通気を行っていたので粉じんは速やかに排除された。このほかの作業箇所も通気が極めて良好であったため、粉じんの発生は十分抑止されていた。
(5) その他の坑内作業
御橋鉱の坑内運搬作業は、列車を操作するものであり、掘進延先や戸樋口付近で作業が行われることはなかった。また、炭車中の原炭及び硬は濡れていた上、戸樋口や捲立において散水を行った。しかも坑内機械夫が採炭や撤収の現場で採炭や仕繰の作業と同時に作業することはまれであり、また、採炭や掘進による粉じんの発生は抑止されていたので、坑内機械夫が粉じんに曝露することはなかった。
(二) 神田鉱各坑
(1) 坑内環境一般
ほぼ全域に滴水があり、湿潤であった。
昭和二四年ころ、新たに排気立坑を開さくした上、四〇馬力の主要扇風機(風量毎分二〇〇〇立法メートル)を設置して通気を確保した。
(2) 掘進
ほとんどが沿層掘進であり、その場合、さっ孔にはオーガーを用い、乾式さく岩機は岩石掘進で硬質の岩石をさっ孔する場合にのみ使用し、昭和二七年ころには湿式さく岩機の使用を始め、延先にはそのための給水パイプを敷設し、これにより発破前後に散水を行った。その他作業内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様で、粉じんの発生はほとんどなかった。
(3) 採炭、仕繰及びその他の坑内作業
各作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況とも御橋鉱の場合とほぼ同様で、粉じんの発生はほとんどなかった。
(三) 鹿町鉱各坑
(1) 坑内環境一般
滴水が多く、作業場の温度は一部三〇度前後になるところもあったが、多くは二四ないし二六度であった。
また、被告の設立当初から、西坑にラトー型一〇〇馬力、東坑にシロッコ型及びキャペル型各三〇馬力、南坑にシロッコ型一五馬力、本ヶ浦坑にターボ型一〇〇馬力の主要扇風機をそれぞれ設置するとともに、各坑に五ないし一〇馬力の局部扇風機と風管を設置して通気を確保した。
(2) 掘進
まず昭和二六年に、岩石掘進箇所があった西坑及び本ヶ浦坑に湿式さく岩機を導入した後、昭和二八年以降は、沿層掘進だけであった他の坑にも湿式さく岩機を導入し、昭和三三年には八割以上のさく岩機を湿式化して、粉じんの発生、飛散を抑止した。その他作業内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様で、粉じんの発生はほとんどなかった。
(3) 採炭
従来は、ツルハシによる手堀りであり、昭和二〇年代後半になってコールプレーナーやスクレーパーを使用するようになった。ピック採炭は昭和三〇年になって西坑で初めて行うようになった。また、昭和二三年一〇月ころ以降戸樋口の散水を強化し、さらに同二五年一二月ころ以降大肩噴霧の強化、徹底をした。その他作業内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様で、粉じんの発生はほとんどなかった。
(4) 坑内機械作業及び坑内工作作業
坑内機械各種は主要通気坑道又はその付近に設置されており、そのため坑内機械夫の稼働箇所の通気状態は良好で、粉じんが浮遊することはなく、また、戸樋口や捲立で散水を行っていたため、炭車から粉じんが浮遊することもなかった。
(5) 選炭場での作業
坑内での散水に加え、チップラーでも散水を行っていたので、チップラーでの粉じんの発生はほとんどなかった。また、戦時中から選炭作業は水選式になっていた上、昭和二六年、原炭破砕工程に、密閉型破砕機であるブラッドフォードブレーカー及びサイクロン型収じん機を導入しており、粉じんが舞い上がることはなかった。
(原告らの反論)
1 本件鉱業所の通気は炭じん爆発の防止を目的としたものにすぎず、労働者のじん肺罹患の防止を目的としたものではなかった上、主要扇風機による風力は、深部へ行くほど弱まり、各作業現場での通気状態は極めて悪かった。局部扇風機もそれが担う坑道の長さに見合ったものとは限らず、鉄風管の場合には継ぎ目から、ビニール風管の場合には落石や発破による破損のために漏風が生じたが、すぐには修理がなされないこともあった。掘進延先では、本来排気となるべき汚れた空気が再び入気となる車風の状態が生じることもあった。また、直列通気方式を採用していたため、風上の掘進現場や採炭切羽で発生した粉じんが風下の坑道や採炭切羽にも浮遊していた。前進式長壁払法をとった場合には、沿層掘進の延先への通気は採炭切羽への入気を局部扇風機と風管によって送ることによってなされたが、採炭切羽の入気坑道である深坑道には戸樋口があるため、そこで発生した大量の粉じんも送られることになった上、スクレーパー等の機械を使用する場合には、風管が邪魔になるため、これが取り外されることさえあった。
2 本件鉱業所において、湿式さく岩機は、一時期、試験的に使用されただけで(しかも、伊王島鉱業所の場合、試験的な使用自体、昭和三四年以降のことである。)、導入した湿式さく岩機も乾式さく岩機としての使用がなされるなどした。
3 上がり発破、中食時発破は常に行われていたわけではなかった。
4 本件鉱業所で散水が行われた箇所は、戸樋口とチップラーだけであった(甲種炭坑でのみ大肩噴霧も行われた。)上、これらの散水も炭じん爆発の防止を目的としたものであって、労働者のじん肺罹患防止のための粉じん発生を抑止するには不十分であり、しかも、伊王島鉱業所では、散水を行うと原炭がこびりついて出函数の減少につながることから、係員によって散水が止められることさえあった。なお、ドラムカッター等の採炭機械から放出される水はわずかで到底粉じんの発生を抑止するには不十分であり、水圧鉄柱から放出される水や、水タンパーの使用も、労働者のじん肺罹患防止のための粉じん発生の抑止には効果がなかった。
争点2 被告等が負うべき健康保持義務あるいは安全配慮義務の具体的内容
(原告らの主張)
1 人間の生命、身体及び健康は最も根源的な基本権であって、最大限に尊重されなければならないところ、一般に、営利を追求する企業の活動及び生産過程は、常に労働災害や職業病を発生させる危険性を内包しており、使用者はその危険を認識し、これを回避することも可能であるのに対し、労働者はこれらの危険から自由ではあり得ないのであるから、労働関係にあたって、使用者である企業は、雇用契約上又は信義則上、労働者に対し、健康保持義務ともいうべき、不可抗力以外の労働災害及び職業病の発生を防止するための万全の措置をとるべき義務を負う。
2 そして、炭鉱においてじん肺が発生することは、既に明治時代から医学界及び炭鉱業界で知られ、その原因が坑内の粉じんであることもこのころから認識されており、大正時代に入ってからは、官庁等によりじん肺の調査研究が行われ、同時代の終わりころには鉱山鉱夫のじん肺被害が社会問題となり、さらに昭和時代に入ると日本鉱山協会や石炭鉱業連合会等の業界誌が発行されるようになり、じん肺に関する調査研究の成果が取り上げられていた。したがって、被告は、遅くとも昭和一〇年代中には炭鉱でじん肺が発生するおそれのあることを認識し得たし、これを認識していた。
また、これらじん肺に関する情報はその病理や防止対策にも言及していたから、被告は遅くとも右時期にはじん肺防止対策についての知識を得ていたし、その防止のための基本的対策も遅くとも右時期には確立されていたから、被告は本件鉱業所で粉じん作業に従事する労働者のじん肺罹患を回避することも可能であった。
3 2記載の状況のもと、大量の粉じんが常時発生している環境の中で労働者を就労させていた被告は、国内のみならず国外の知識、技術を含めた最高の知識、技術に基づき、最新の設備等を用いるなど万全の措置をとって労働者のじん肺罹患を防止する義務があり、かかる義務は結果債務というべきである。もとより採算を理由とした右措置の懈怠は許されず、これらの措置を講じてもなお労働者のじん肺罹患を防止できないとすれば、操業自体の短縮、停止がなされなければならない。
そして、右措置の具体的な内容は、(一)粉じん曝露量の規制、(二)粉じん曝露時間の規制、(三)じん肺防止環境の整備の三つに分類することができ、それぞれ大要次のようなものとなる。
(一) 粉じん曝露量の規制
(1) 発じん防止
許容粉じん濃度の設定及び発生粉じん量の測定を行った上で
① さく岩機等掘さく機器の湿式化、水圧採炭等湿式採炭法の導入
② 収じん機の使用
③ 散水、噴霧、注水及び湿潤剤、水タンパーの使用
④ 通気方法の改善
⑤ 清掃等
(2) 粉じん遮断
① 防じんマスクの支給及びその管理体制の整備、着用の徹底
② 遮断壁、遮断幕、ウォーターカーテン等の使用
③ 中食時発破、上がり発破の実行等
(二) 粉じん曝露時間の規制
(1) 就労時間及び残業時間の規制
(2) 一定時間粉じん作業従事者の配置転換
(三) じん肺防止環境の整備
(1) 労働者、管理者等に対するじん肺に関する教育
(2) 離職後も含めたじん肺専門医による特別な健康診断
(3) 有所見者に対する配置転換及び治療
(4) 被害補償の給付
(5) じん肺に関する調査研究
(6) 発じん防止及びじん肺対策についての指導監督
4 なお、長崎鉱業及び嘉穂長崎鉱業も、関係する元従業員原告らとの雇用契約に基づき、被告と同様の義務を負っており、被告は、合併により両社が負っていた右義務を承継した。
(被告の主張)
1 使用者が負う雇用契約上の安全配慮義務の具体的内容は、労働者の職種や地位のほか、それが問題とされる時代の一般的な医学知見の水準、法令や行政指導、監督に基づく産業界の実態及び慣行、衛生工学技術の知見等により定まるものであって、結果債務ではない。したがって、当時の一般的な医学知見において結果発生の予見可能性がなく、また、工学技術の未発達等から結果回避の可能性がない場合には、たとえ結果が発生しても、そもそもそのような結果を回避すべき義務があるとはいえない。
そして、原告らがあげる調査や文献は一部の先駆的研究に止まるものであって、石炭鉱山においてけい肺が発生し得るとの知見が医学上一般的なものになったのは昭和二五年ころのことであり、このころでさえも、岩盤中に遊離けい酸分を多量に含む区域での危険性をいうものにすぎず、石炭粉じんの吸入が人体に有害であるとの知見が医学上一般的なものになったのは同三〇年代に入ってからのことである。
したがって、昭和三〇年代に入るまで、少なくとも同二五年ころまでは、炭鉱におけるじん肺発生の予見可能性はなく、これを回避すべき義務は安全配慮義務に含まれないものというべきである(よって、被告との雇用契約のもとでの就労が昭和二五年一〇月までに止まる原告岩﨑英也に対しては、被告は何らの責任を負うものではない。)。
なお、乾式さく岩機用収じん機は、本件鉱業所の閉山に至るまでの間、炭鉱での作業の実用に耐え得る水準に至っていなかったから、その使用が安全配慮義務の内容になることはあり得ない。湿式さく岩機は昭和三〇年代に入ってから、防じんマスクも同三〇年代後半ころ、それぞれようやく炭鉱での作業に対する実用に耐え得るようになったものであるから、右各年代以前における湿式さく岩機及び防じんマスクの使用についても同様である。
2 ところで、石炭鉱山においては、坑内作業によってある程度の粉じんが発生するのは不可避であり、粉じんをまったく発生させない措置又は作業夫が粉じんを全く吸入しない措置をとるのは物理的に困難であるが、石炭産業は、現代産業において不可欠の基幹産業であり、国の石炭政策の下に遂行されてきたものであるから、安全又は衛生上の危険の故をもって、その事業を停廃することはできない。
その一方、坑内作業が不可欠である石炭鉱業は、他の産業と異なる危険防止の必要性があることから、鉱業法制上、特に鉱山保安の行政監督が厳重に施行され、炭則等、その実施基準は各時代における鉱山技術、衛生工学技術の最高水準であった。
したがって、各時代において最善とされた鉱山保安法、炭則等の公法上の安全基準や衛生基準を遵守することこそ安全配慮義務の内容であって、右水準を超えるものは安全配慮義務の範囲を超えるものというべきである。
この点、労働基準法や労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)が職業病を法定し、使用者に補償義務を課しているのも、特定の業務については、その遂行に伴い不可避的にある種の疾病が発生することが予想されるものの、その業務の必要性から、同業務への労働者の就労を認める代わりに、右疾病に罹患することにより当該労働者が被った損害について使用者に無過失責任による補償を行わせるというものであり、このことからも、職業病については、使用者が法規で定められた安全基準、衛生基準を遵守し、社会通念上その発生を防止するために妥当と考えられる措置をとった場合には、使用者は労災保険法上定められた額の補償をすれば原則としてそれ以上の責任を負わないものとして、使用者の責任の限界を明らかにしたものというべきである。
争点3 下請鉱夫に対する健康保持義務あるいは安全配慮義務の有無
(原告新立義光、同木下妙子、同荒巻邦弘、同楠田きみ子及び荒巻利美の主張)
1 被告は、伊王島鉱業所おける鉱業権及び基本的設備を保有し、基本的な採掘計画及び採掘方法等を決定して同鉱業所の開発、経営にあたっていた。また、被告は、昭栄土建が雇用する多数の鉱夫を、常時、坑内外の各種粉じん作業に従事させる目的で、同社と間で請負契約を締結し、同社に指示を出すことによって同社が雇用する鉱夫に対しても間接的な指揮監督を行い、さらに、同社に対し主要な機械等のほとんどを提供していた(さく岩機等の機械は同社が独自に調達、準備したものではなく、被告が貸与したものである。)。一方、昭栄土建は被告以外に請負先はなく、絶えず被告からの指示に従っていたため、昭栄土建が雇用する鉱夫は実質的には被告が作り出した作業環境の中で就労しており、被告が直接雇用する鉱夫と作業内容もほとんど同じであった。
2 これらの事情を総合すれば、被告と亡荒巻茂文及び原告新立義光(この両名(原告新立義光については、昭和三八年四月から同四五年二月までの関係に限る。)を、以下「本件下請鉱夫ら」という。)との間には、直接の雇用関係と同視し得る関係があるといえ、被告は本件下請鉱夫らに対しても直接健康保持義務を負うべきものであった。
(被告の主張)
1 昭栄土建は、独自の組織を有し、人的・物的に被告とは別個の独立した企業である。昭栄土建は、伊王島鉱業所内に出張所を設け、継続して坑道掘進作業等を請け負っており、個々の工事毎に被告との間で請負契約を締結し、その中で工事箇所、施工期間、工事代金等の具体的事項が決定された。また、被告が直接雇用した鉱夫と昭栄土建が雇用した鉱夫とが渾然一体となって同一の作業を行うことはなく、さく岩機や積込機、防じんマスク等の作業機材も昭栄土建が独自に調達、準備していた。
2 したがって、被告と本件下請鉱夫らとの間には、契約上の雇用関係はもとより、実質的な使用従属の関係もなく、被告は、本件下請鉱夫らに対し、安全配慮義務を負わない。
3 なお、被告と昭栄土建との間の請負契約書には、昭栄土建の職員、作業員は被告の指示を遵守し、被告の指揮系列に属するものとする旨の規定があり、火薬類や坑枠材については被告がこれを昭栄土建に提供していたが、これらは、鉱山保安法や炭則によって、鉱業権者に保安統括義務が課されていたほか、火薬類の取扱いや坑道施枠の規格に関して詳細な定めがなされていたことによるものであって、右事情をもって被告と昭栄土建が雇用した鉱夫とが実質的に使用従属の関係にあったとはいえない。
争点4 被告等の健康保持義務違反あるいは安全配慮義務違反の有無等
(原告らの主張)
1 被告等が負うべき健康保持義務が結果債務でないとしても、以下のとおり、被告等は、元従業員原告らのいずれに対しても右義務の履行を怠った。
2(一) さく岩機の湿式化、散水及び通気方法の改善について、争点1(原告らの反論)記載のとおり。
(二) 乾式さく岩機用収じん機も使用しなかった。
(三) 昭和二〇年には性能のよい防じんマスクが開発されていたのに、これを労働者に支給するようになったのが遅れた上、支給するようになった後も、性能が落ちた場合でもその交換には所定出炭量の達成を条件とするなど管理・支給体制を整備せず、また、着用の目的や必要性について何らの説明もせず、着用の徹底を図らなかった。
また、昭和三七年ころ支給したとするサカヰ式一一七号は、国家検定第二種合格品にすぎず、当時既に市販されていた他の防じんマスクのうち同検定特級又は一級合格品に比べ、捕集効率が著しく劣っていた。
また、本件鉱業所の坑外における炭又は硬チップラーの作業等に従事する鉱夫に対しては、昭和四二年ころまで防じんマスクを支給しなかった。
(四) 少なくとも昭和三五年ころまでは、じん肺罹患者の発見を目的とした特別な健康診断を行っておらず、同年以降はけい肺又はじん肺健康診断を行ったにせよ、医師による診断は初回のみであったし、診断結果を労働者に通知せず、じん肺罹患者を発見しても当該労働者について作業転換、労働時間短縮等の処置をとらなかった。
(五) 労働者に対し、粉じん吸入によるじん肺罹患の危険性を認識させるための教育を行わなかったばかりか、粉じんの有害性を故意に隠蔽した。
(六) 労働時間を適切に調整することをしなかった。
3 元授業員原告らが就労していたころのじん肺及びその防止策に関する医学的・社会的認識に照らすと、以上のような、被告の健康保持義務の懈怠は、故意に基づくものであるとさえ解され、被告等には少なくとも過失がある。
(被告の主張)
1(一) 被告等は、各種法規で定められた安全基準、衛生基準を遵守してきたから争点2(被告の主張)の記載に照らし、安全配慮義務の不履行はない。
仮にこの点を措くとしても、被告等は、昭和二五年ころに炭鉱でけい肺が発生する旨の認識を得てからはけい肺対策として、同三〇年代に入って一般の石炭粉じんも有害である旨の認識を得てからはじん肺対策として、以下のとおり、元従業員原告らの各作業環境及び各作業内容に照らし、当時の技術水準から見て必要にして十分な対策を行い、安全配慮義務を履行した。
(二) 争点1(被告の主張)記載のとおり、本件鉱業所において、扇風機や風管の設置により通気の確保に努め、必要な限り散水を行い、可能な限り湿式さく岩機を導入した。散水は、当初は炭じん爆発の防止を目的として行っていたが、炭じんが人体に有害であることを認識してからは、労働者のじん肺罹患防止も目的としていた。
(三)(1) 防じんマスクについては、以下のとおり、これを支給した。
① 伊王島鉱業所
昭和二四年 堀進夫
同三三ないし三四年ころ 採炭夫、仕繰夫にも拡大
同三六年 全坑内夫及び坑外の粉じん職場の作業夫に拡大
② 嘉穂鉱業所
昭和二四年 掘進夫
その後徐々に支給対象を拡大
同三三年 坑内粉じん職場の全作業夫に拡大
③ 北松鉱業所
遅くとも昭和二五年 堀進夫、坑内運搬夫
同二八年 採炭夫、仕繰夫、坑内工作夫にも拡大
同三〇ないし三三年 全坑内夫に拡大
(2) その後、伊王島鉱業所においては、昭和三七年、サカヰ式一一七号マスクを導入した。これは、目方が軽く、視野が広いという特長を有していた上、静電ろ層に特殊加工を加えたKSTろ層を使用したものであり、水に強く、洗濯にも耐え得る唯一のろ層式のものであって、海底炭鉱であり水が多い伊王島鉱業所で使用する防じんマスクとして最も適当なものであった。
また、防じんマスクの交換について所定出炭量の達成を条件としたことはなく、交換期限は原則として一年と定めてはいたが、現物を持参すればいつでも交換に応じるという柔軟な運用を行っていた。防じんマスクの着用の必要性については、その支給時及び交換時に十分教育を実施し、着用を怠る者に対しては係員が注意をした。
(四) 健康診断等については、労働基準法に基づく定期健康診断を行っており、けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法(昭和三〇年法律第九一号以下「けい肺保護法」という。)やじん肺法により、健康診断を行うよう定められたころからは、法規に従った健康診断を実施し、有所見者に対しては精密検査を行い、その症状によって労働基準局長に管理区分の決定を申請し、決定を受けた者に対してはその旨通知して作業転換等の措置もとっていた。
(五) じん肺に関する教育については、新聞や坑口での掲示等による伝達や繰込時に係員が行う保安教育、保安懇談会、保安担当者の巡視時の機会教育等により、作業を行う労働者に対し、直接徹底した教育を行っていたほか、係員に対しても、右労働者に対するじん肺教育を行うに必要な知識を与える教育等を行っており、さらに外部講師による講演、講習会への担当者の派遣及びその内容の労働者への報告等も行っていた。
2 なお、昭和二三年ころまでの措置に関しては、仮に不十分な点があるとしても、当時は、人的・物的資源が窮乏し、また、占領政策下という社会情勢にあったため、一民間企業にすぎない被告等には、じん肺発生の回避措置を尽くすことの期待可能性がなく、安全配慮義務の不履行について責任を負わないものというべきである。
争点5 元従業員原告らの損害
(原告らの主張)
1 じん肺は、各種粉じんの吸入により生じる肺疾患であるとともに、全身的な免疫疾患でもあるというべきであり、呼吸器及び免疫系統という生命維持に不可欠の器官ないし機構を破壊するものである。また、じん肺による呼吸器障害は慢性に進行するため、一旦罹患すると粉じん職場を離れた後も症状が進行し、肺の線維増殖性変化は不可逆的であって、これに対する治療法は存在せず、肺結核、肺炎、続発性気胸等の各種感染症や、肺がん等死亡率の高い合併症も頻繁に伴う。
しかも、じん肺に罹患すると、肺機能の低下や咳等の自覚症状により日常の行動が著しく制約され、労働も不可能となるが、じん肺は治療法のない進行性の疾病であることから、死に対する恐怖もその行動の制約を招くのであり、これによりじん肺罹患者は経済的に困窮し、経済的困窮と看護の負担から家庭の平穏も失われ、じん肺罹患者自身の精神的苦痛は、じん肺罹患自体及びついには死に至るその悪化に対する恐怖ばかりではなく、これらにより更に増大する。
2 このように、じん肺罹患により生じる損害は、身体的苦痛、精神的苦痛、労働が不可能になることによる経済的困窮、それらに起因する家庭破壊、人生破壊等多岐にわたり、またそれらが相互に関連して相乗的に損害を拡大させている。このようなじん肺罹患による損害につき賠償を求める場合、逸失利益や個々の治療費、付添費、入院費、入院雑費、交通費、家屋改造費その他の項目別に損害を算定し、それらを合算した財産的(物質的)損害と狭義の精神的損害(慰謝料)を併せて請求する「個別算定方式」によることは、じん肺被害の実態を正しくとらえた請求方法にはならず、また、進行性の疾患であるじん肺においては、症状固定という概念がないことから、これを前提とする「個別算定方式」によることはそもそも不可能でもある。したがって、右損害は総体として包括的にとらえられなければならない。
3 そして、1記載のじん肺の特質により、じん肺に罹患した者は、現在及び死亡時の病状にかかわらず、いずれ確実に重篤な症状に陥るのであるから、そのような症状の重篤化もあらかじめ2記載の総体としての損害に含めて考慮すべきであって、元従業員原告らに生じた損害は、各人の現在の病状や管理区分にかかわらず、同一である。
即ち、元従業員原告らは、重篤な呼吸器障害から循環器障害をも引き起こす肺疾患としてのじん肺に罹患しているという点で一致しており、更には、粉じん曝露による免疫異常の可能性にさらされている。元従業員原告らの現在又は死亡時の病状は、その軽重、質的側面に相異があるが、右健康被害は元従業員原告らのいずれにも生じ得又は生じ得たのであり、したがって、健康被害が生じていること、あるいは生じるに至る高度の蓋然性があること自体が重大なじん肺被害であり、現在における症状の軽重によって、被害の軽重が定まるものではない。
4 元従業員原告らがじん肺に罹患したことにより被った、これら財産的損害及び非財産的損害の総和は、それぞれ三〇〇〇万円をはるかに上回るものであるところ、原告ら右全損害の一部の賠償として、元従業員原告各人につき、三〇〇〇万円の損害賠償を請求するものであるが、原告らはいずれも本件訴訟のほかに、被告に対し、その名目のいかんを問わずじん肺罹患に基づく損害の賠償を請求することはない。
5 弁護士費用については、本件鉱業所が閉山されている今日、各鉱業所の労働環境、元従業員原告らの労働実態、それによる粉じん発生や吸じんの実態及び被告等のじん肺対策の懈怠を主張、立証するための資料収集、及び専門性を有するその内容の把握に相当な労力を要し、また、じん肺の発生機序や特質等についての理解も本件訴訟活動には不可欠であることなどの事情を照らし、元従業員原告各人につき三〇〇万円を下らない。
(被告の主張)
1 包括的一律請求は訴訟の相手方の防御、反論を封じるものであって、伝統的な債権法の分野における「損害」の概念とも相容れず、許されない。じん肺罹患による損害が多岐にわたり、それらが相互に関連して相乗的に損害を拡大させていることは、何ら包括的一律請求を正当化するものではない。
2 そもそも、肺内に吸入された粉じんによるじん肺症状の進行は、基本的には粉じんの量、質等によりその程度が定まり、そのほかにも体質や喫煙習慣の有無等の諸条件によっても左右されるものであって、常に無限に進行するものではなく、粉じん曝露から離れればほとんどの場合は比較的短期間で病変が停止する。とりわけ粉じん職場を離脱してから二〇年近くが経過した後、初めて管理二の決定を受けた場合には、その後の進行はほとんどないか仮に進行しても軽度である。また、人の肺には予備機能があり、一部の肺胞が線維化してその機能を停止しても肺全体の機能には支障を来さないから、線維化等の病理的変化が直ちに臨床症状につながるものではなく、したがって、じん肺罹患者であれば直ちに就労が不可能となるものではなく、意欲によっては高齢者や管理四の決定を受けた場合ですら就労は可能であるし、日常生活においては同年齢の非罹患者に比べてじん肺罹患者が特に制約を受けることはなく、平均寿命もじん肺罹患者と非罹患者とではほとんど差がなくなってきている。しかも、じん肺罹患者は、適切な運動療法や呼吸訓練を継続することにより、肺機能を回復させ、息切れ等の臨床症状を軽減させることが可能であり、この意味においてじん肺は可逆的である。また、合併症も、それ自体は適切な治療により治癒するものである。
3(一) また、管理区分は粉じん作業従事者の保護と健康管理のための措置を講じるための区分であって、災害補償等の補償を目的としたものではなく、境界事例では重く認定される傾向がある。その上、エックス線写真像の読影は、これを担当する医師の技術水準や画像の良否ひいては撮影機器の性能や撮影条件、エックス線技師の技術的熟練度によって左右されるほか、そもそもエックス線写真像上の有所見と無所見の区別は極めて微妙であり、肺機能検査についても、正確な検査結果が得られるかどうかは、測定機器の性能や検査科の技師及びデータを読み取る医師の能力にかかっており、スパイロメトリー及びフローボリューム曲線による検査では、被検査者自身が正確なデータを出すために最大限の努力をしたかによっても左右される。この点、地方じん肺診査医は、エックス線フィルムこそ直接審査できるものの、一般の医師によって行われた右諸検査の結果は結果証明書の記載によるほかなく、受診者の自覚症状が愁訴であってもこれを確かめる手段はなく、明らかに結果証明書記載の判断が誤っていると確認できる場合を除き、その判断を尊重することになっているのであって、地方じん肺診査医の診断、審査は、管理区分決定上の正確性を期すための制度的保障にはなっていない。
(二) このほか、現行の管理区分の決定方法は、一般に加齢に伴い肺機能は低下するのに、管理区分決定のための肺機能検査基準とりわけVドット二五の基準ではそのことが十分考慮されておらず、高齢者であればすべて著しい肺機能障害ありと判断されてしまいかねないことや、喫煙によって末梢気道障害が生じ、その結果肺機能が低下した場合であっても、じん肺所見があればじん肺による障害と判断されてしまうこと、喫煙が主たる要因となって続発性気管支炎となった場合であっても、じん肺罹患者については合併症とされてしまうこと、合併症の影響により肺機能が低下した場合でも、じん肺自体によるものと判断されてしまうことなどの問題がある。
(三) したがって、管理区分をもって、直ちに元従業員原告らのじん肺罹患による損害の有無や程度を示しているものと見ることはできない。
とりわけ、原告黒木巖は、昭和四六年に十数本の肋骨を折る事故に遭っており、以後、同事故の後遺症によって胸痛が続き、就職できない状態が継続していたものであり、このほか原告竹本幸定は昭和六〇年以降糖尿病を患っており、亡竹田吉満は心疾患を患っていた。このため、原告黒木巖及び同竹本幸定の現在の症状及び亡竹田吉満の生前の症状には、じん肺とは無関係の右疾患等の影響が相当程度及んでおり、右原告らについて、その管理区分からじん肺罹患による損害の有無や程度を評価することはできない。
4 また、合併症のない単純管理二又は同三相当のじん肺罹患者は、じん肺による著しい肺機能障害もその他の健康障害もなく、したがって、労働能力も喪失していないから、賠償されるべき損害は発生していないというべきである。
5 さらに、亡荒瀬一、同小瀬良喜代喜、同竹田吉満及び同荒巻茂文の死亡については、いずれもその原因は明らかでなく、じん肺罹患とは関係がないというべきである。
6 なお、原告岩永健、同岩永實、同亀田健、同中ノ瀨一夫、同吉井利光及び同松山年治について、被告は、じん肺罹患による損害のないこと及び仮に損害があったとしても非常に軽微であり賠償を要する程度に達していないことを立証するため、右原告らのカルテ、エックス線フィルム等の送付嘱託の申立てを行い、これが採用されたのに、右原告らは裁判所の説得にもかかわらず右記録の保管者らに対して記録送付の同意をしなかったために、結局右記録は送付されなかった経緯がある。かかる右原告らの態度は民事訴訟における信義則違反であって被告の立証妨害にあたり、「当事者が文書提出命令に対し従わない」場合(民事訴訟法二二四条一項)や、「当事者が相手方の使用を妨げる目的で提出の義務がある文書を滅失させ、その他これを使用することができないようにした」場合(同条二項)と同様であるから、右原告らの損害に関しては、同条三項を類推して、被告の主張を真実と認めるべきである。
7 さらに、原告黒木巖、亡小瀬良喜代喜、原告新立義光、同藤井誠、同岩﨑英也、同竹本幸定及び亡荒巻茂文(以上七名を、以下「本件給付金受給者ら」という。)は、既に、別紙六元従業員原告ら労働災害保険給付金を受給しており、また、本件給付金受給者らのうち亡小瀬良喜代喜及び同荒巻茂文を除く五名は、今後、同表の「将来受給金額(円)」欄記載の各金額の右給付金を受給することになる。本件給付金受給者らの慰謝料額算定にあたっては、このことを十分斟酌すべきである。
(被告の主張6に対する原告岩永健、同岩永實、同亀田健、同中ノ瀨一夫、同吉井利光及び同松山年治の反論)
被告がした送付嘱託の申立ては、本来鑑定申請と一体不可分の性質を有するものであるところ、本件において、鑑定申請は却下されているから、文書送付嘱託の申立ては無意味であり、訴訟引き延ばしのためにした不当なものであるから、右原告らに同意の義務はない。
争点6 他の粉じん職歴を有することを理由とした責任の限定の可否等
(被告の主張)
1 原告黒木巖及び同藤井誠は、別紙七元従業員原告ら他粉じん職歴一覧表「他粉じん職歴(昭和)」欄記載の被告等と無関係の各粉じん職歴を有しており、被告等との雇用契約のもとで伊王島鉱業所で就労した期間は、原告黒木巖が、他の粉じん職歴を含めた全粉じん職歴期間の約六パーセント、原告藤井誠が、右同期間の約一一パーセントにすぎないことから、右両原告がじん肺に罹患したことと伊王島鉱業所における就労との間には因果関係がなく、被告は、右両原告に対し、責任を負わない。
2 また、本件において、原告らは、安全配慮義務違反という債務不履行に基づく損害賠償を求めるものであるから、不法行為に基づく損害賠償に関する規定である民法七一九条一項後段は適用の余地がない。そして、安全配慮義務違反による債務不履行に基づく損害賠償債務は、可分債務であるから、元従業員原告らのうち、複数の粉じん職場における就労経験を有する者に対しては、同法四二七条により、全使用者が平等の割合で負担し、被告は、その負担部分についてのみ賠償責任を負うものと解すべきである。
この点、複数の不法行為者の行為が場所的同一性、時間的同一性を有する場合においてすら、一部の不法行為者が全損害について責任を負うとすることは妥当でなく、本件の場合のように複数の不法行為者の行為に場所的、時間的同一性がない場合にはなおさらである。このような場合、損害賠償を求める者は、自己の全損害が特定の相手方に自己の全損害の賠償責任を求めることはできず、民法四二七条により分割された割合の賠償を求めることができるに止まるというべきであり、かかる観点からも、被告は同条により分割された負担部分についてのみ賠償責任を負うものと解すべきである。
そして、元従業員原告らのうち、亡荒瀬一、原告黒木巖、亡小瀬良喜代喜、原告新立義光、亡竹田吉満、原告中ノ瀨一夫、同藤井誠、同岩﨑英也、同竹本幸定及び亡荒巻茂文(以下一〇名を、以下「本件他粉じん職歴保有者ら」という。)は別紙七の「他粉じん職歴(昭和)欄」記載の被告等と無関係の各粉じん職歴を有しているから、被告が本件他粉じん職歴保有者らに対し負担する損害の割合は、別紙七の「負担割合(一)」欄記載の各割合に限定されるべきである(ただし、原告黒木巖及び同藤井誠については、右1の主張が認められない場合。)。
3 仮に、本件について民法四二七条の適用の余地がないとしても、各粉じん職場における就労期間の長短によって複数使用者の責任割合を限定すべきであり、その場合、被告が本件他粉じん職歴保有者らに対し負担する損害の割合は、別紙七の「負担割合(二)」欄記載の各割合となる(ただし、原告黒木巖及び同藤井誠については、右1の主張が認められない場合。)。
(原告荒瀬イクエ、同荒瀬清、同黒木巖、同小瀬良ハセ、同小瀬良美喜雄、同松岡かやの、同新立義光、同竹田英夫、同竹田義則、同竹田惠三、同中ノ瀨一夫、同藤井誠、同岩﨑英也、同竹本幸定、同木下妙子、同荒巻邦宏、同楠田きみ子及び同荒巻利美の主張)
複数の粉じん職場における就労歴のある労働者に対する、健康保持義務、安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務は、不可分債務であり、また、健康保持義務、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求においても、民法七一九条一項後段が類推適用されるべきであって、被告は、その債務不履行と本件他粉じん職歴保有者らのじん肺罹患による損害の全部又は一部に因果関係がないことを主張、立証しない限り、本件他粉じん職歴保有者らに対し、その損害の全部を賠償すべき責任を負う。なお、原告黒木巖は約二年八か月、同藤井誠は約三年間伊王島鉱業所で就労していたのであるから、被告の債務不履行と右両原告のじん肺罹患による損害の全部又は一部との間に因果関係がないとはいえない。
争点7 消滅時効の成否、除斥期間の経過等
(被告の主張)
1 本件は、雇用契約上の安全配慮義務不履行を理由とする損害賠償請求であって、債務不履行による損害賠償請求権は本来の債務と同一性を有するから、損害賠償請求権の消滅時効は、本来の債務の履行を請求し得る時の最終時点から進行するというべきところ、本件における右最終時点は、当該従業員らの退職時であるから、右損害賠償請求権の消滅時効は退職時から進行する。
2 そして、商人である被告が元従業員原告らと雇用契約を締結することは商行為であるから、時効期間は商法五二二条により五年であり、そうでないとしても民法一六七条一項により一〇年であるところ、元従業員原告らについては、いずれも被告を退職した日(亡荒巻茂文について昭栄土建を退職した日)の翌日から起算して、本件提訴の日までの間に五年はもとより一〇年以上が経過している。
3 また、消滅時効の起算点について、1記載のように解することができないとしても、最初にじん肺の有所見の診断を受けた日の翌日又は最初に管理区分の決定を受けた日の翌日から消滅時効は進行するものというべきところ、亡荒瀬一、原告岩永健、亡竹田吉満及び同荒巻茂文は、最初に管理区分の決定を受けた日の翌日から起算して本件提訴の日までの間に五年が経過しており、亡荒巻茂文については一〇年も経過している。
4 さらに、消滅時効が成立しないとしても、元従業員原告らが被告を退職した日の翌日から二〇年が経過すれば、民法七二四条後段の類推により、除斥期間の経過によって被告の債務は消滅するところ、元従業員原告らについては、いずれも被告を退職した日(ただし、亡荒巻茂文について前同。)の翌日から起算して本件提訴の日までの間に二〇年が経過している。
(原告らの主張)
1 被告は、雇用契約上の健康保持義務を尽くさないことにより、経費を節約して資本を蓄積したのであり、被告の発展は元従業員原告らを含む炭鉱労働者の生命、身体の犠牲によるものということができる。更に、元従業員原告らは、被告のいわゆる「じん肺隠し」により、被告に対する権利行使を困難にされた。このように、被告の健康保持義務懈怠の態様が悪質であることに加え、じん肺に罹患した元従業員原告らの被害は極めて深刻であることから、被告の消滅時効の援用は時効援用権の濫用であり、信義則に反し許されない。
2 仮に1の点を措くとしても、本件は商取引に基づくものでない上、被告の責任は明確であって証拠に基づく立証の困難性という短期消滅時効の趣旨はあたらないから、本件において商事消滅時効の適用はなく時効期間は一〇年であり、また、健康保持義務とその違反に基づく損害賠償債務とは同一の債務ではない上、未だじん肺が発症せず損害が発生していない時点で損害賠償を求めることはできないのであるから、退職の日の翌日から時効期間が進行すると解することはできず、じん肺の有所見の診断や管理区分の決定を受けた日の翌日から時効期間が進行することも不当である。
争点8 過失相殺
(被告の主張)
1 使用者が安全配慮義務を負う場合にも、労働者は自己の安全を守るために基本的かつ最小限度の注意を払うべき義務を免れるものではない(じん肺法五条参照)から、労働者は、使用者の義務履行の有無にかかわらず、自己の置かれた具体的状況に応じて自己の安全を守るために可能な注意を尽くすべきである。そして、安全配慮義務不履行による損害賠償請求においても、労働者に損害が生じたことにつき、労働者に過失があるときは、その点を損害賠償額の算定にあたって斟酌すべきである。
2(一) この点、元従業員原告らのうち、原告岩永健、同黒木巖、亡小瀬良喜代喜、原告中ノ瀨一夫、同藤井誠、同吉川利光、同竹本幸定及び同松山年治(以上八名を、以下「本件マスク不着用者ら」という。)は、被告からじん肺教育を受けるとともに、被告の係員から、必ず防じんマスクを着用するように厳しく指導教育されており、自己の健康管理上も自ら防じんマスク着用の必要性を認識し、多少の息苦しさには耐えてこれを着用すべきであったにもかかわらず、防じんマスクを着用しないで作業をしたことがあり、じん肺罹患予防のための基本的な注意義務を怠った。
(二) また、喫煙は健康に対し有害であり、これにより気管支粘膜の線毛上皮が影響を受け、清浄化作用が衰え、粉じんの排除能力が低下するところ、元従業員原告らのうち、亡荒瀬一、原告亀田健、亡小瀬良喜代喜、亡竹田吉満、同藤井誠及び亡荒巻茂文(以上の六名を「本件喫煙者ら」という。)は事情を知りながら、喫煙をやめようとしなかったことにより、自己の安全と健康に害のある行為を継続し、じん肺罹患予防や増悪防止のための基本的な注意義務を怠った。
3 したがって、本件マスク不着用者ら及び本件喫煙者らに対する損害賠償額の算定にあたっては、過失相殺として、各三割(防じんマスクの着用を怠るとともに喫煙もしていた亡小瀬良喜代喜及び原告藤井誠については各六割)の減額をすべきである。
(原告荒瀬イクエ、同荒瀬清、同岩永健、同亀田健、同黒木巖、同小瀬良ハセ、同小瀬良美喜雄、同松岡かやの、同竹田英夫、同竹田義則、同竹田惠三、同中ノ瀨一夫、同藤井誠、同吉井利光、同竹本幸定、同松山年治、同木下妙子、同荒巻邦宏、同楠田きみ子及び同荒巻利美の主張)
1 使用者は、健康保持義務の内容として、労働者の不注意をも予想して、労災事故や職業病の発生を防止するため万全の措置を講じる義務を負っており、通常の場合、労働者の不注意は使用者の義務違反に吸収され、過失相殺の余地はないというべきである。しかも、本件においては、被告は故意責任を負うものであって、かかる場合、損害の公平妥当な分配を図るための制度である過失相殺をすることは許されない。
2(一) また、被告等が行った防じんマスクの支給は、その時期や支給した防じんマスクの性能、破損した防じんマスクの交換制度等の点において極めて不十分であったし、また、被告等はその従業員に対しじん肺の病理、原因、症状等に関する教育を一切行っていなかったため、元従業員原告らは、いずれもじん肺に関する知識がなく、防じんマスク着用の必要性の説明も受けていなかったのであるから、本件マスク不着用者らがその着用を怠ったとしても、これをもって過失ということはできない。
(二) さらに、喫煙とじん肺の因果関係は明らかでない上、元従業員原告らは、被告等による右教育の欠如により、いずれもじん肺についての知識を有しておらず、また、喫煙をやめることには多大の精神的苦痛も伴うのであるから、本件喫煙者らにつき、喫煙を理由とする過失相殺をすることも許されない。
第三 争点に対する判断
一 争点1(本件鉱業所の坑内環境及び各作業の実態と粉じんの発生、飛散の有無、程度)について
証拠等によれば、以下の事実が認められる(ただし、一部争いのない事実を含む。)。
1 伊王島鉱業所
(<証拠略>)
(一) 坑内環境一般
(1) 作業箇所の温度は、通常二五度程度で、高いところでは三〇度以上になり、湿度は九〇ないし九五パーセントだった。
(2) また、採炭箇所は全て海底であったため、石炭や地層が生成されたときから岩石中に含まれている化石水に加え、採掘により海底が沈下し断層等の亀裂に沿って流れ込む海水が坑内の湧水、滴水となり、一部に天盤等から多量の滴水のある「雨箇所」があり、出水もあった(昭和四六年には、一部の箇所が炭則に基づく出水指定を受けた。)。湧水等は、坑底付近に設けられた貯水槽からポンプにより、斜坑に設置されたパイプを通して、順次、上方の幹線水平坑道に揚げられ、最も上部の水平坑道である富士坑道では、本卸坑底に設置された五〇〇トン主要貯水槽と三台のポンプによって、坑外に排出された。
しかしながら、坑内の全域にわたって常時湧水や滴水があったわけではなく、散水等の処置なしに、以下に述べる各種作業による粉じんの発生、飛散を抑止できるものではなかった。
(3) 通気は、排気坑道口に主要扇風機(ターボ型三〇〇馬力、後記排気立坑完成後は二段プロペラ型四〇〇馬力)が設置され、これによって坑内の空気を吸い出す方法がとられていた(ただし、二段プロペラ四〇〇馬力は二二五馬力で運転されていた。)。従来は、本卸から通風が入り、深坑道から採炭切羽を通って肩風道から連卸に抜けていた(中央式)が、昭和三七年八月に排気立坑が完成し、排気坑道として利用されていた連卸も入気坑道として利用されるようになった(対偶式)。
なお、掘進延先は、常に坑道の先端箇所であったため、すべて行き止まりのいわゆる「盲坑道」であり、掘進中の当該坑道を入気及び排気の両方に使用せざるを得ず、最寄りの入気坑道から風管を通し、五ないし一〇馬力の局部扇風機で掘進延先に入気を送り込み、その通気の流れで切羽付近の汚れた空気を最寄りの排気坑道へ押し流す方法がとられていたが、大量の粉じんが発生、飛散した場合に、これを速やかに排除できるものではなかった。特に局部通気に関しては、坑内奥深くに進むほど風量が小さくなった上、風管についても、当初、鉄製のものが使われていたのが、昭和三〇年代前後から同三五年ころにかけて、ビニール製のものに代わったが、鉄製のものが使われていた時代には、目塗りが発破等の振動で剥げるために、ビニール製のものが使われるようになってからは、発破による落石等により穴があくために、いずれも漏風することがあり、それにもかかわらず、資材の不足や通気大工が甲方(本鉱業所では、第二の一3において認定したとおり、一日三交替制をとっており、午前七時から午後三時までの勤務を甲方、午後三時から一一時までの勤務を乙方、午後一一時から翌日午前七時までの勤務を丙方と呼び、掘進夫や採炭夫は甲方から丙方までそれぞれの勤務があった。)だけの就労であったことなどのため補修が速やかに行われないことがあった。また、車風が生じることもあった。
さらに、スライシング法による採炭がなされた箇所では、下段の払は、上段の払より幹線坑道から奥に位置するため、通気は上段の払を通りがちとなる上、盤圧により、下段の肩風道がつぶされることによって、一層通気状態は悪かった(ビニールカーテンを用いて通気量を調節する措置もとられたが、十分ではなかった。)。
(二) 各種作業と粉じんの発生、飛散の状況
(1) 掘進
(概要)
岩石掘進の場合、岩盤破砕は、さく岩機とダイナマイトを使用して行う方法がほとんどであった。その場合、通常四人一組で作業を行い、さっ孔から枠入れまでを一サイクルとすると、一方の作業量は一ないし二サイクルのことが多く、一サイクルでは一ないし1.5メートル掘り進んだ。
沿層掘進の場合には、原炭を採掘した後、岩盤を掘さくし、また、昭和三〇年代半ばまで二段スライシング払の下段の一部で炭層の破砕をコールピックによっていたが、それ以外は岩石掘進と同様であった。
坑道の広さは、概ね、主要幹線坑道では四メートルアーチ(有効断面積9.7平方メートル)、片盤坑道では、梁と足の長さがそれぞれ2.1メートル(有効断面積4.4平方メートル)であった。
(さっ孔)
さっ孔作業は、一先につき、岩石掘進では二台以上、沿層掘進では一台のさく岩機を用いて行った。手持式のものの場合には、通常、三人の作業夫が一台のさく岩機を担当し、先山がさく岩機のノミ先をとってさっ孔の方向、角度を指示し、これに従って後向の二名がさく岩機を支えて、足つきのものの場合には一人で一台のさく岩機を操作して、岩石掘進で二〇ないし四〇本程度、沿層掘進で十数本から二五本程度の孔をあけた。その際、さっ孔が進むにつれ、掘進夫は、岩盤又は炭壁に近づくことになった。使用されたさく岩機は、ほとんど乾式のものであり、昭和二二年ころには、古河鉱業足尾製作所製のASD二五型が使用され、その後、同製作所製のASD二二型が、同三七年までには、同製作所製のASD三二二D型がそれぞれ導入された。その間、昭和三〇年七月に、主要岩石掘進箇所一箇所で湿式さく岩機の利用が可能になり、ASD二五型、ASD二二型の乾式さく岩機を湿式に改造(バックヘッドを湿式のものと取り替え、ウォーターチューブを付けることによってなされた。)して使用することも行われたが、水圧や水量の調節が困難で、故障も多かったことなどから、その使用は広がらず、同三四年の時点では、ASD二二型の湿式さく岩機四台(これは、乾式さく岩機を湿式に改造したものと解され、従って、後記の使用中の乾式さく岩機には、改造後のものは含まれていない。)が備えられていたものの、実際に使用されていたのは、同型の乾式さく岩機三八台であり、岩石掘進箇所及び沿層掘進箇所のすべてで、乾式さく岩機が使用されていた。また、さっ孔前後に切羽に散水が行われることはほとんどなかった。このため、さっ孔により大量の粉じんが発生、飛散した。
さっ孔後は、キューレンという棒状の道具で、孔内に残っている繰粉を排出する作業が行われることがあったが、キューレンの代わりに、さく岩機用のエアホースを向けてその圧縮空気で排出することもあり、これによっても粉じんが飛散した。
(発破)
発破の際、発破係員及び発破警戒線に立つ作業夫以外の掘進夫は、沿層掘進で四〇ないし五〇メートル、岩石掘進で七〇ないし八〇メートル、切羽から離れた入気坑道側に退避するのが通常であったが、作業箇所によっては適切な退避場所が確保されないこともあった。
発破前に散水が行われることはほとんどなく、そのため発破後は、極めて大量の粉じんが発生、飛散した。その場合であっても、本来、発破後十分な時間をおけば、発生、飛散した粉じんは、通気によって希釈、排除され、あるいは沈降するため、上がり発破又は中食時発破を行うのが理想とされていたが、実際には、作業の進行程度に左右され、徹底しなかった。それどころか、発破後五分程度しかたっておらず、まだ大量の粉じんが浮遊している中を、掘進夫がキャップランプを外して足下を照らし、手探りで延先へ行き、本来は発破係員が行うべき天盤の点検等の作業を自ら行った後、積込作業に取りかかることもあった。もっとも発破後は散水が行われることもあったが、徹底しなかった。
なお、昭和二五年ころ、それまでの瞬発式のものに代えて段発式の雷管が用いられるようになり、掘進夫が粉じんに曝露する機会は減少した(掘進以外で発破が行われる場合の各作業夫についても同様であった。)。
また、発破の威力を増すための込め物には、昭和三〇年ころまでは粘土、その後、ビニール袋を入れた砂あるいは水が、それぞれ使われていたが、昭和四二年には、水タンパー(屈曲水筒)が使用されるようになり、その場合には、従来に比べれば発生した粉じんを速やかに沈降させる効果もあった。しかし、これらの措置だけでは、掘進夫が粉じんに曝露するのを抑止するには十分ではなかった。
(積込み)
積込作業は、従来からかき板とほげを使う手積みによっていた。昭和三〇年代以降、ロッカーショベル、ギャザリングローダー、サイドダンプショベルが導入されたが、これらはすべて掘進箇所で使用されたわけではなく、またこれらの機械が使用される場合であっても、積み残された硬及び原炭を積み込むため、依然として手積みも行われた。これらの作業によって、粉じんが飛散し、特に各種積込機械の導入により、積込みにかかる時間は大幅に短縮されたものの、飛散する粉じんの量は増加した。なお、積込みに際し、硬又は原炭に散水がなされることもあったが、徹底していなかった。
また、大きな硬は、コールピックやハンマー等を使用して、あるいは発破を行ってこれを割る必要があり、これによっても、粉じんが発生、飛散した。
(枠入れ)
坑道の天盤及び側壁を支えるために梁及び支柱を入れるが、発破後の坑道は、必ずしも枠の形状に適合しているとは限らないため、不適合な岩盤部分等は枠入れの際に削り落とさねばならず、天盤に向かってコールピックやツルハシを使用して掘さくしたり、小規模の発破を行うことがあった。また、枠の脚部を埋め込む「アシガマ」を掘さくするためにも、コールピックやツルハシを使用し、小規模な発破を行った。
これらの作業によっても、粉じんが発生し、飛散し、その際に散水が行われることはなかった。
(2) 採炭
(採掘方式)
一時期前進式長壁払法をとっていた箇所もあったが、昭和二二年ころ以降は、後退式長壁払法をとっていた。切羽の天盤を支える支保には、同二九年ころまでは木材が使用されたが、同年以降、鉄柱(当初は摩擦鉄柱であり、同三八年ころから水圧鉄柱や油圧鉄柱が導入され始めた。)が使用されるようになった。
(ピック採炭、発破採炭)
従来は、ピック採炭及び発破採炭が中心であった。ピック採炭の場合、コールピックを使用して炭層を削り取ることによって原炭を採掘し、発破採炭の場合には、コールピックを使用する代わりに、切羽を概ね一五メートル毎にさく岩機等(湿式さく岩機の導入は掘進作業以上に遅れており、終掘までほとんど使用されなかった。もっとも、掘進の場合と異なり、一部ではオーガーが使用された。)でさっ孔し、ダイナマイトで破砕することによって、原炭を採掘した。なお、昭和三〇年代後半まで、第一区、第二区の下層においては、ガスのため発破採炭ができないところがあった。遅くとも昭和三〇年代以降、大肩では噴霧が行われていたものの、切羽内では鉱山保安監督局等による検査の際を除くと散水が行われることはまれで、そのため、コールピック又はさく岩機の使用や発破により、粉じんが発生、飛散し、特に発破後のその量は極めて多かった(オーガーを使用した場合には、乾式さく岩機を使用した場合ほど大量の粉じんは発生、飛散しなかったが、それでもある程度の粉じんは発生、飛散した。)。
また、抜柱をして採掘跡の天盤を自然崩落させたり、場合によっては発破等によって人為的に崩落させ、切羽への荷重を和らげる「跡ばらし」を行っていたが、これによっても大量の粉じんが発生した。切羽の支保に水圧鉄柱を使用していた場合、抜柱により、中から水がこぼれ出たが、これにより、抜柱の際の粉じん発生が、完全に抑止されることはなかった。
(機械採炭)
昭和三〇年代になると、一旦同三四年ころに一年程度、ホーベルが導入され、試験的に使用されたほか、ジブカッター等のコールカッターが導入、使用されるようになり、さらにその後、同三八年ころのごく一時期には、ドラムカッターも導入、使用され、同四五年ころからは本格的にホーベルが使用されるようになった。これらの機械を使用して採炭を行った場合には、いずれもピック採炭の場合よりも多くの粉じんが発生、飛散した。特にドラムカッターは、直径約七〇センチメートルの円筒に切削用のノミがらせん状に並列して埋め込まれたドラムを高速で回転させて採掘するものであり、これを使用した場合には、機械内部の冷却も兼ねて切削部分に散水される仕組みとなっていたが、発生、飛散させる粉じんの量は各種採炭機械の中で最も多かった。なお、これらの機械の導入後も、松岩の出現時や断層箇所に当たった場合、採炭機械の動力源や矢玄を設けるために切羽の肩・深の両端を切り広める場合、ジブカッターで炭層下盤付近を透截した後にその上部炭層を崩落させる場合には、さく岩機によるさっ孔と発破も行われ、その際にも大量の粉じんが発生、飛散した。
(積込み、搬出)
採掘された原炭は、従来、スコップ等によって炭車に直接積み込まれていたが、昭和三〇年ころには、ポケット積込方式が導入され、その場合には、まず、コンベアーに積み込まれた後、落口から深坑道(ゲート坑道)を経てポケットと呼ばれる部分まで運ばれ、ポケットに落とし込まれ、その下の戸樋口で戸樋ロマンによって炭車に積み込まれることになった。コールカッター等を使用する機械採炭の場合、コンベアーへの積込みも基本的には機械によって行われたが、積みこぼしなどを積み込むためスコップ等も引き続き用いられ、そのようなスコップ等による積込作業は終掘まで続いた。また、このころには、深坑道では払から流れてきた松岩を小さく割る作業も行われた。
これらの過程のうち、炭車又はコンベアーへの積込み、落口での原炭の落下、ポケットへの落下、戸樋口での炭車への積込み等の際、粉じんが飛散した。なお、昭和三〇年代以降、前述の大肩噴霧のほか、落ち口、深坑道(ゲート坑道)、ポケット部分、戸樋口で散水が行われることもあったが、粉じんの飛散を十分抑止するには至らなかった。
(カッペ採炭)
昭和三四年ころには、カッペ採炭が導入された。この場合、ピック採炭であれば、まず、約一〇名のピック・マンが、それぞれコールピックで炭層の上部を切りつけて原炭を採掘し、カッペを延長した後、炭層の下部についても同様に採炭を行う。採掘後は、コンベアーの移設、立柱及び抜柱(切羽の進行に合わせて、カッペや鉄柱を移動させる作業)が、それぞれを担当する作業夫により行われた。この過程で、発破を行い松岩等を除去することもあった。
カッペ採炭の導入により、長い切羽を維持してさっ孔、発破、積込み、立柱、抜柱の各作業を同時に行うことが可能となり、そのため一つの切羽内で発生する粉じんの量は増大した。
(スライシング法)
昭和三〇年ころ以降、主として十尺層で、スライシング法による採掘が行われるようになり、一つの切羽で約三〇人が稼働した。この場合、上段では、採炭切羽の進行に伴い、下盤に木・竹材(後には鋼材を使用)を網目状に敷きつめ、この上に上段の天盤を自然崩落させ、盤圧によって崩落した天盤が緊縮するのを待って、下段の人工天盤を形成した後、下段の採炭を行った。
このとき、下段の払は、前述のとおり上段の払に比べて通気状態が悪かった上、人工天盤から崩落する硬によって粉じんが発生、飛散したこともあり、粉じん曝露の状況は上段の払に比べ一層著しかった。
(3) 仕繰
仕繰作業は、通常二ないし三人一組で行われ、コールピックやツルハシでは盤打ち等ができない場合にさく岩機を使用して三ないし四本のさっ孔を行った後、発破を行うことがあった(ただし、採炭後の坑道を補修する採炭仕繰では発破は行われず、したがって、さく岩機も使用されなかった。)。
また、仕繰作業により発生した硬の積込作業に、機械が使用されることはなく、閉山まで一貫してかき板とほげ等による手積みであった。
払の撤収作業は、深側から行い、肩に向かうが、配水管が敷設されている場合でも、作業の早い段階でこれを撤去してしまうので、散水はできず、また、深側の払の天盤は順次崩落していくので通気が通らなくなり、発生した粉じんは容易に希釈されなかった。
以上のような作業は、それ自体にコールピックやツルハシの使用やさっ孔、発破等、粉じんを発生させるものがあったほか、掘進切羽や採炭切羽の近く及び排気坑道で作業を行う場合、そこには掘進作業や採炭作業で発生した粉じんも浮遊しており、枠や坑道に堆積していた炭じんが飛散することもあった。
(4) その他の坑内作業
(本鉱業所における掘進、採炭、仕繰以外の坑内の各種作業のうち、本件訴訟に直接関連するのは、原告新立義光が従事した坑内機械作業、同岩永健及び同吉井利光が従事した通気大工としての作業及び同中ノ瀨一夫及び同吉井利光が従事した車道大工としての作業だけであるから、これらの点に限って認定する。)
(坑内機械作業)
坑内機械作業にも種々あるが、原告新立義光が従事したのは、巻揚機の運転であった。
巻揚機は、坑内の炭車をロープを使って坑外へ引き揚げるもので、坑内の要所に設置されており、炭車には捲立で散水が行われていたものの、なお、炭車の引き揚げに伴い、積んである原炭や硬から粉じんが発生した。
(通気大工)
作業現場は幹線坑道であり、入気坑道には浮遊する粉じんは少なかったが、排気坑道には切羽から流れてくる粉じんがあった。また、風門の取外しの際には、堆積していた粉じんが飛散した。
(車道大工)
掘進現場で軌道延長を行う場合、発破後の積込作業に間に合わせるため、掘進夫がさく岩機でさっ孔作業を行い大量の粉じんが発生、飛散している中で、作業に従事した。また、坑道の下盤を平らにするために自らコールピックを使用することもあり、その際にも粉じんが発生、飛散した。
(5) 貯炭場における積込作業
(本件訴訟でこの作業が直接問題になるのは原告亀田健だけであり、以下の認定は、同原告がこの作業に従事した昭和三八年八月以降のものである。)
選炭場へ送られた原炭は、クラッシャーで概ね五〇ミリメートル以下に破砕され、さらに水選機で品質別に分類された後、コンベアーで運搬船が着く船着場近くにある貯炭場へ運ばれ、山積みされた(ただし、粉炭は水選機から水とともにシックナーに排出されるのであって、貯炭場へは送られない。)。貯炭場の下には地下道があってここにもコンベアが通っており、四〇ないし五〇センチメートル四方の開閉口(ホッパー口)を開けて石炭を落下させると運搬船まで運ばれる仕組みとなっていた。しかし、ホッパー口を開けただけではその真上にあった石炭が落ちるだけであったため、坑外作業夫がブルドーザーを運転し、山積みにされた石炭の上に登って残った石炭をホッパー口に押しやったが、その際、大量の粉じんが飛散した。
なお、ブルドーザーには窓もあったが、山積みされた石炭は日光を浴びて熱を持っており、これを崩すと熱風が吹くため、冬の間や雨の日以外は窓を開けて作業に従
事せざるを得ず、またたとえ窓を閉めていても、運転席の下の操作レバーの辺りは隙間があるため、粉じんは車内に入ってきた。
この点、証人瀬崎昌弘は、粉炭は貯炭場へは送られず、また、貯炭場へ送られた石炭は濡れていたため、貯炭場での積込作業によって粉じんが舞うことはなかった旨証言しており、乙ハ五七にも同旨の記載がある。しかしながら、貯炭場へ送られた石炭は時間の経過とともに乾燥し、ブルドーザーのキャタピラ部分で踏みつけられることにより、また、ホッパー口から落下すること自体により、さらに細かい粒子となり、粉じんが発生、飛散することは容易に推測されるのであって、貯炭場での積込作業によって粉じんが舞うことはなかったとする右証言等は信用できない。
2 嘉穂鉱業所各鉱
(<証拠略>)
(一) 坑内環境一般
(1) 作業箇所の温度は、伊王島鉱業所よりは低く、温度は、入気の深坑道側で八〇ないし八五パーセント程度、排気の肩坑道側で九〇ないし九五パーセント程度であった。
(2) また、一部箇所で湧水、滴水があり、毎分数トンの坑内水を坑外に排出していたが、散水等の処置なしに、各種作業による粉じんの発生、飛散を抑止できるものではなかった。
(3) 上穂波坑及び大分坑には、それぞれシロッコ型三〇〇馬力の主要扇風機が設置されており、その総風量はいずれも約三五〇〇立方メートル、各掘進箇所では毎分約七〇ないし一〇〇立方メートルであった。
また、第三坑にもターボ型三〇馬力の主要扇風機が設置されていた。
(二) 掘進作業と粉じんの発生、飛散の状況
(本鉱業所各鉱の各坑内外における各種作業のうち、本件訴訟に直接関連するのは、亡小瀬良喜代喜が従事した掘進作業だけであるから、この点に限って認定する。)
岩石掘進と沿層掘進の割合は約一対四であり、掘進作業の具体的な方法は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であったが、さっ孔の数は、一〇ないし三〇本程度とやや少なく、段発雷管は、昭和三〇年ころ導入された。さく岩機の湿式化については、昭和三〇年ころ、岩石区掘進箇所において乾式さく岩機であるASD足尾二五番を改造した湿式さく岩機が使用されたこともあったが、昭和三四年の時点で使用中のさく岩機七二台がいずれも乾式であるなど、ほとんど広がらず、さっ孔及びこれに続く発破により大量の粉じんが発生、飛散した。
3 北松鉱業所
(<証拠略>)
(一) 御橋鉱
(1) 坑内環境一般
温度は約二三度、湿度は約九八パーセント(いずれも沿層掘進箇所)であり、一部の箇所に湧水や滴水が見られ、雨箇所もあったが、伊王島鉱業所及び嘉穂鉱業所の場合と同様、散水等の処置なしに、各種作業による粉じんの発生、飛散を抑止することはできなかった。
一坑、二坑とも主要扇風機が設置されており、その風量は毎分約二〇〇〇立方メートル、採炭切羽では毎分二〇〇ないし二五〇立方メートル程度であった。また、掘進延先へは風管から局部扇風機で通気を確保しており、その風量は毎分約一〇〇立方メートルであった。
(2) 各種作業と粉じんの発生、飛散の状況
(本鉱坑内外における各種作業のうち、本件訴訟に直接関連するのは、亡竹田吉満が従事した掘進及び採炭の各作業だけであるから、これらの点に限って認定する。なお、原告松山年治が本鉱において従事した坑外工作作業の内容は、甲一二〇三の3により、主に設計、製図であって、粉じん作業ではなかったものと認められる。)
(掘進)
延層掘進が多くを占めており、岩石掘進箇所では、昭和二〇年代に湿式さく岩機が試験的に使用され始め、昭和三四年には使用中のさく岩機二八台のうち二一台が湿式となったが、なお乾式さく岩機も使用され、また沿層掘進箇所では主にオーガーが使用された。昭和三七年ころには、散水が行われたこともあったが、定着しなかった。また、積込みはかき板とほげを用いてなされており、昭和三五年ころロッカーショベルも導入された。そして、枠入れ作業も行われた。
その他の各作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況は伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であった。
(採炭)
必ずしも従来の方法は明らかではないが、昭和二〇年代半ばころには既にコールカッターが使用されるようになっており、同三〇年代半ばにはカッペ採炭も行われるようになった。昭和三五年ころには、積込口、払口、ポケット、捲立、戸樋口で散水が行われていた(大肩噴霧は行われなかった。)が、カッター使用時等に粉じんが発生した。
(二) 神田鉱
(<証拠略>)
(1) 坑内環境一般
一部に滴水による雨箇所があり、昭和三三年には出水指定を受けたが、伊王島鉱業所及び嘉穂鉱業所同様、散水等の処置なしに、各種作業による粉じんの発生、飛散を抑止できるものではなかった。
通気方法は、昭和二四年ころまでは、中央式によっていたが、その後対偶式に変わるとともに、主要扇風機が大型のものに取り替えられた。その後の風量その他は、御橋鉱とほぼ同様であった。
(2) 各種作業と粉じんの発生、飛散の状況
(本鉱各坑内外における各種作業のうち、本件訴訟に直接関連するのは、亡竹田吉満及び原告岩﨑英也が従事した掘進、採炭及び坑内運搬の各作業だけであるから、これらの点に限って認定する。)
(掘進)
岩石掘進箇所では、昭和二〇年代には乾式さく岩機が使用されていたが、昭和二七ないし二八年ころ、湿式さく岩機も使用されるようになり、同三三年ころにはこれが主流となった。一方、沿層掘進では主にオーガーが使用されていた。
その他、さっ孔、発破の各作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であったが、上がり発破が実行されることも多かった。硬積みはほげとかき板を使って行われ、また、枠入れ作業も行われており、これらさっ孔、発破、積込み、枠入れの各作業によって粉じんが飛散した。
(採炭)
昭和二〇年代には、まず炭層上部の岩盤約二〇センチメートルをツルハシで削り取った後、オーガーでさっ孔し、発破を行う方法がとられており、一部箇所ではコールカッターも使用された。発破を行った場合、発破された硬や原炭はスコップでトラフコンベアーに積み込まれた。昭和二五年ころ以降、捲立や戸樋口で散水が行われていた(大肩噴霧は行われなかった。)が切羽での散水はほとんど行われず、ツルハシ、オーガーの使用、発破、コールカッターの使用、積込作業により、粉じんが発生、飛散した。
(坑内運搬作業)
採掘された硬や原炭は、トラフコンベアーに積み込まれた後、トラフ口で炭車に積み込まれたが、坑内運搬夫はこの炭車を肩まで運び、坑内機械夫が巻揚機でこれを引き揚げられるようセットした後、今度は空の炭車をトラフ口まで運んだ。これらの作業箇所にも粉じんは浮遊しており、トラフコンベアーから炭車に硬や原炭を落とし込む際、大量の粉じんが飛散した。
(三) 鹿町鉱
(<証拠略>)
(1) 坑内環境一般
温度は二五度前後、湿度は九五ないし一〇〇パーセント程度と高かったが、散水等の処置なしに、各作業による粉じんの発生、飛散を抑止できるものではなかった。
東坑には、既に昭和一〇年代には、シロッコ型又はキャペル型三〇馬力の主要扇風機が二か所に設置されていた。
西坑には、昭和二〇年代後半には、ラトー型一〇〇馬力の主要扇風機が設置されていた。
(2) 各種作業と粉じんの発生、飛散の状況
(坑内外における各種作業のうち、本件訴訟に直接関連するのは、原告松山年治が従事した坑内工作、坑内機械及び坑外工作の各作業だけであるが、掘進及び採炭の各作業で発生、飛散する粉じんの状況も密接な関わりを有するので、これらの作業についても必要な限りで認定する。)
(掘進)
沿層掘進箇所が多かったが、その場合でも下盤の岩石部分の破砕のためさっ孔、発破が行われることや、コールピックが使用されることもあった。岩石掘進箇所ではさっ孔、発破が行われた。その際使用されたさく岩機は、従来は乾式であり、東坑では終掘まで湿式化されることはなかった。これに対し、少なくとも西坑及び本ヶ浦坑では昭和二〇年代の終わりころから岩石掘進箇所で湿式さく岩機の使用が始まりその後もある程度湿式化が進められたが、それでも沿層掘進箇所を含めると、昭和三三年の時点では使用中のさく岩機の半数程度が湿式化されたにすぎないものとみられる(同年二月の時点で鹿町鉱のほか当時被告が経営していた小佐々坑及び矢岳鉱を合わせた三鉱で当時使用中であったさく岩機二三台のうち、一二台が湿式さく岩機であり、翌三四年では六一台中一九台が湿式さく岩機であった。)。
また、さく岩機の湿式化に伴い、さっ孔前及び発破前後に散水が行われることもあったが、沿層掘進箇所も含めたすべての箇所でこれらの散水が徹底されていたわけではなかった。
なお、上がり発破又は中食時発破が行われることが多かった。
その他の掘進作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であった。
(採炭)
一時期前進式長壁払法がとられたこともあったが、後に後退式長壁払法によった。
従来は、ツルハシによる手掘りであったが、昭和二〇年代半ばころ、一部にコールプレーナーやスクレーパー等の機械も使用されるようになり、東坑では、終掘時には、スクレーパーによる方法が主流となった。また、西坑ではピック採炭も行われた。発破こそあまり行われなかったが、これら採炭時にはやはり粉じんが発生、飛散した。また、採掘された原炭は、手掘りの場合には引き続きスコップ等でコンベアーに積み込まれ、コールプレーナーを使用した場合には、これによって積込みまで行われたが、なおスコップ等を用いての積込みも行われ、その際にも粉じんが飛散した。コンベアーで運ばれた原炭は、その後戸樋口で炭車に積み込まれ、戸樋口では散水がなされていたが、それでもなお、粉じんは飛散した。
なお、カッペ採炭は導入されず、抜柱作業もほとんど行われなかった。
その他の採炭作業の内容及び粉じんの発生、飛散の状況は、伊王島鉱業所の場合とほぼ同様であった。
(坑内工作作業)
坑内工作作業にも種々のものがあるが、原告松山年治が従事したのは、圧縮空気の送気管及び配水管の敷設、撤去並びに巻揚機用ロープの修理であり、これらの作業を行う際にも、現場に堆積していた粉じんが飛散した。また、掘進現場や採炭切羽付近あるいは排気坑道で作業を行う場合、そこには多くの粉じんが浮遊していた。
(坑内機械作業)
原告松山年治が従事したのは、主に巻揚機と排水ポンプの運転、修理であった。
排水ポンプは、坑内の流水を汲み上げ、坑外に排出するもので、掘進現場近くにあることもあり、そこには、掘進現場で発生、飛散した粉じんが浮遊していた。なお、巻揚機運転の内容は、伊王島鉱業所における原告新立義光の場合とほぼ同様である。
(坑外工作作業)
本鉱において原告松山年治が従事した坑外工作作業は、選炭場での機械類の運転、修理であった。炭車が走る周りでは粉じんが舞った。また、チップラーでは散水がなされていたが、原炭が落とし込まれる際には大量の粉じんが飛散した。また、数週間に一回程度は機械類の大がかりな修理も行ったが、その際にも機械類に堆積していた粉じんが飛散した。
二 争点2(被告の負うべき健康保持義務あるいは安全配慮義務の具体的内容)について
1(一) 第二の一1(二)において認定したとおり、被告等は、亡荒巻茂文を除く元従業員原告らと雇用契約関係にあったのであるから、被告等は、信義則上、少なくとも亡荒巻茂文を除く元従業員原告らが労務に従事するに際し、その生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っていたものと解すことができる。
なお、原告らは、被告等が負うべき義務は、その違反により、単に損害賠償債務を生じ得るにすぎない安全配慮義務ではなく、労働者が使用者に対し履行請求を求め得る健康保持義務であると主張するが、その趣旨は、労働災害の発生や職業病罹患の危険にさらされる地位にある労働者に対し、雇用契約上又は信義則上使用者の負う義務を、その不履行の効果でとらえる安全配慮義務の概念を超えるものとして、事前履行請求の視点をも込めて健康保持義務の概念でとらえようとするものであって、従来、安全配慮義務として問題とされたものを包含し、これを除外するというものではないと解することができるから、損害賠償請求である本件においては、健康保持義務一般には触れることなく、原告らが同請求をなしえるような被告等の債務不履行におけるその債務の内容及び程度を、以下、安全配慮義務として検討することとする。
ところで、本件鉱業所のうち、伊王島鉱業所は、第二の一2(一)において認定したとおり、昭和二八年までは長崎鉱業の、同年から同二九年九月三〇日までは嘉穂長崎鉱業の各経営であり、元従業員原告らのうち、亡荒瀬一、原告新立義光及び同中ノ瀬一夫の同日までの各就労は、長崎鉱業又は嘉穂長崎鉱業との雇用契約によるものであるが、被告は、合併の効果により、長崎鉱業又は嘉穂長崎鉱業がその被用者たる右三名に対して負っていた雇用契約上の安全配慮義務及びその不履行に基づく損害賠償義務を承継したということができる(商法四一六条一項、一〇三条)。よって、亡荒巻茂文以外の元従業員原告らのうち右三名が長崎鉱業及び嘉穂長崎鉱業で就労していた期間については、被告との雇用契約に基づき就労していたのと同視することができる。
(二) 一般に労働者に対して使用者が負う安全配慮義務の具体的な内容及びその程度は、労働者を就労させる作業の環境やその内容、それによる職業病の発生に対する社会的認識、右危険発生を回避するための手段の存否及び内容等によって規定されるというべきところ、本件は、原告らが、元従業員原告らは被告等が経営していた本件鉱業所で炭鉱労務に従事したことによりじん肺に罹患したとして、被告に対し安全配慮義務違反に基づく損害賠償を求めた事案であり、元従業員原告らが従事した炭鉱労務の環境及びその内容は第二の一1(二)(1)、同2、3及び第三の一において既に認定したところであるから、被告等が元従業員原告らに対して負うべき安全配慮義務の具体的な内容及びその程度は、右炭鉱労務の環境及びその内容に係る認定事実に、元従業員原告らが本件鉱業所で就労した当時におけるじん肺に関する医学的知見及びその予防法に関する工学上の知見や技術水準、さらにはこれらに関する行政法令等をも併せ、総合的に考慮することによって確定されることになる。
(三) また、このように具体的に確定された安全配慮義務を使用者が完全に履行した場合には、たとえ労働者の生命又は健康等に損害が発生したとしても、使用者に安全配慮義務違反があるとはいえず、被告等の下での就労により元従業員原告らがじん肺に罹患したことが認められれば、被告等の右義務不履行が認められる(即ち、安全配慮義務は「結果債務」である。)との原告らの主張は認めることができない(仮に、被告等に単なる安全配慮義務ではない「健康保持義務」があるとしても同様であり、雇用契約に付随する信義則上の義務にすぎない「健康保持義務」を結果債務とすることはできない。)。
2(一) そして、炭鉱労働者に関して問題となるじん肺は、遊離けい酸によるけい肺及び炭じん等による炭肺並びにその混合(炭けい肺)であるところ、これらのじん肺についての医学的知見及びその予防法についての工学上の知見に関しては、証拠により、以下の文献があることが認められる。(<証拠略>)
(明治時代)
二一年『東京医事新誌』(第五五六号)
第五高等中学校教諭医学部勤務の大谷周庭は、三池炭鉱の肺疾患を調査の上、炭粉刺激に原由する慢性肺炎(アントラコージス=坑夫肺労)の例を報告した。
三三年『医事新聞』(第五七一号)
陸中尾去沢鉱山の浦井財治は、「慢性癒著性肋膜炎。気管枝炎、細小気管枝異物填塞、肺気腫及拡汎性皮下気腫ノ病状記事並ニ解剖所見」と題する論文で、死亡した坑夫の解剖の結果として、黒色肺の例を報告した。また、右肺臓等を見た東京帝国大学医科大学の竹崎季薫は、その原因が炭沫色素の沈着によることは今日の学会において敢えて問う必要がないとするとともに、肺組織中の多量のじんあいの集積は病的変化をもたらすとした。
四一年『北海医報』(第八巻第二号)
関場不二彦は、「肺ノ石炭粉末吸引症ノ一例」と題する論文で「アントラコージス、プルモースム」の訳語をめぐり、「炭じんを吸引する肺病」、「肺臓黒質浸潤病」「仮性黒病」「坑夫肺炎」などがあるとした上で、短く訳すならば、「石炭肺」が最も適当とした。
四五年『第拾七回九州沖縄医学会誌』
林郁彦は、「炭肺ニ就テ」と題する論文において、高度の炭肺は急性変化として急性肺炎を発しやすく、慢性の変化として、食欲欠損、体力消耗、乾性咳嗽等を来し、衰弱に陥るとし、また、続発する変化として、気腫、心臓右室の拡張肥大、肋膜の肥厚・癒着、気管支拡張、気管支炎等があるとした。
(大正時代)
二年『日本衛生学会雑誌』(第九巻第二号)
東京医科大学衛生学教室の医学士石原修は、石炭山において明治四一年からの三年間で平均三〇〇人以上が呼吸器病で死亡していることを報告した。
一〇年ころ『鑛夫ノ災害及死傷病者ニ関スル調査(大正九年)』
大正九年の石炭山において、二万五〇〇〇人以上の肋膜炎、肺気腫等の呼吸器系の疾患による死傷病者が発生していることが報告された。
一〇年『衛生学伝染病雑誌』(第一七巻第二号)
医学士で後に夕張炭鉱病院長となった白川玖治(以下「白川」という。)は、「炭砿拾年以上勤続(又ハ在勤)鑛夫ノ健康状態調査成績」と題する論文において、炭鉱病の一つとして炭肺をあげ、炭鉱での勤続年数に応じて増加することを指摘した。
一二年『十全会雑誌』(第二八巻第八号)
後に内務省社会局の技師となった大阪鉱務署衛生試験室の大西淸治(以下「大西」という。)は、「鉱山衛生ニ関スル研究(其ノ三)所謂鉱業塵ニ就テ」と題する論文において、粉じんの飛散が甚だしき場合に長時間これを吸入すると肺組織に著明な変化を呈することを指摘した。
一三年『坑夫ヨロケ病及ワイルス病ニ関スル調査』
仙台鉱務署在勤の鉱務技師原田彦輔(以下「原田」という。)が大正一〇年と同一二年に行った「ヨロケ」に関する調査の結果が報告されており、同人は、鉱肺を坑内作業ことに坑内採鉱に長期勤続した鉱夫に発生する慢性呼吸器疾患と定義した上、その主訴として呼吸障害、胸痛、食欲不振、衰弱等があることを指摘し、さらに、その原因は坑内において発生するじんあいの吸入及び坑内の不良な衛生状態等にあると推測した。
一三年『十全会雑誌』(第二九巻第六号)
大西は、「鑛山衛生ニ関スル研究(其ノ五)防塵マスクノ効力ニ就テ」と題する論文において、粉じんの飛散が甚だしい場合の防じんマスク使用の必要性を説いた。
一四年『ヨロケ=鉱夫の早死はヨロケ病=』
全日本鉱夫総連合会と産業労働調査所が鉱夫向けに出版したパンフレットの中で、「ヨロケ」の悲惨さとともに、これが鉱内の石じん、鉱じんが肺組織につまることが原因となっていることが指摘され、また、予防法として、栄養状態の改善のほか、通気の改善やさく岩機の湿式化、マスクの支給、労働時間の短縮等の措置を要求すべきとされている。
一五年ころ『鑛夫ノ災害死傷病及扶助ニ関スル調査(大正一四年)』
内務省社会局の調査により、大正一四年には石炭山において二〇〇人近くが呼吸器系の疾患で死亡していることが報告された。
一五年『鉱山衛生』
内務省社会局技師で医学士の南俊治は、鉱肺を多年坑内作業とりわけ採鉱作業に勤続する鉱夫に発生する慢性呼吸器疾患で鉱石じん(けい酸じん特に無水けい酸じん)の吸入に基づくじんあい沈着発生の一種と定義するとともに、炭肺については鉱じんの吸入が鉱肺を発するのと同様、長年月間の炭鉱労働により吸入した炭じんが漸次肺実質に侵入して生じるものとし、その症状として、軽度の場合は自覚的症状を欠如するのが普通であるが、炭じんの沈着がある程度にまで達すると咳嗽、墨汁喀痰、呼吸困難、貧血等が現れ、肺気腫に移行することが多く、肺に空洞を生じることもあることを指摘した。また、これらの予防として、通気の改善やさく岩機の湿式化、マスクの使用の必要性も説いた。
(昭和時代)
三年『鉱夫ノ疾患ニ関スル統計』
大正六年から同一〇年にわたり商工省鉱山局が発表し続けた「本邦鉱業ノ趨勢」に依拠して鉱夫の死傷病者についてまとめられたものであるが、石炭山において呼吸器疾患の患者が多く発生していることが示されている。
三年『石炭時報』(第三巻第一一号)
炭じん発生の防止に関するアメリカ鉱山局の研究の成果として、散水の重要性が説かれた。
四年『石炭時報』(第四巻第八号)
大西が石炭鉱業連合会で行った「鉱肺(硅肺)に関する輓近の研究」と題する講演の内容が紹介されており、同人は、その中で、札幌鉱山監督局の技師から、北海道の炭坑で本病と認むべきものがかなり多数経験されつつあることを聞いたとしている。
五年『日本レントゲン学会雑誌』(第八巻第三号)
北海道帝国大学教授で医学博士の有馬英二(以下「有馬」という。)と白川は、炭肺を含むすべての鉱肺がその種類の如何を問わず一定のレントゲン像を呈し、軽重の差はじんの種類とその吸入の年月の長短によるとし、また、純炭じんも純石じんも質的に同一の組織的変化を肺に惹起するものと断定すべきであって、肺組織に及ぼす影響は石じんと炭じんにおいて何らの差異を認め難いとした。
五年『石炭時報』(第五巻第三号)
大西は、「鉱夫の災害と疾病」と題する論文において、坑夫の疾患中最も多いのが呼吸器系の疾患であって、これに属するものとして、気管支炎、肺炎、肺気腫、結核とともに炭肺を挙げるとともに、石炭坑夫に炭肺が生じることは古くから知られていたとし、さらに、けい肺(鉱肺)は元来主として金属山に生じる疾患であるが、最近我が国においても石炭山坑夫にも現れる事実が判明したとし、その原因としては、炭層以外の岩石部分の掘進には、おびただしくけい酸じんを吸入する機会があるからであるとした。また、商工技師の中川信及び原田は、「改正鉱業警察規則並に石炭坑爆発取締規則の説明」の中で、鉱じんの吸入が漸次呼吸器や消化器を害することは説明するまでもなく、けい肺や炭肺が坑内作業者に多いことは周知の事実であるとした上、粉じんの吸入を予防するために粉じんの飛散防止を唱え、さく岩機等使用時の注水、収じん袋やマスクの使用の必要性を指摘した。
六年『昭和五年本邦鉱業ノ趨勢』
商工省鉱山局の調査により、昭和五年に石炭山鉱夫において、けい肺二一人、炭肺三人の各死傷病者が発生したことが報告されている。
八年『石炭時報』(第八巻第六号)
「鑛夫硅肺及び及眼球震盪症の扶助取扱方に関する説明」の中で、けい酸と比較的縁の遠い石炭山であるからといって、鉱業そのものに本病発生の原因なしとは認め得ないことは、イギリスのウェールズやドイツのルール地方の各炭坑で経験されており、我が国でも北海道の某炭坑で著明な実例が発見されているとし、さらに、けい肺のごとき疾病は一年も治療を施して治癒しないときはほとんど全治の見込みなく廃疾に近い状態になるともしている。
九年『日本産業衛生協会報』(No.四二)
石川知福は、「鉱肺に就て 病理的方面」と題する論文において、アーリッジの「じんあいにして有害でないものはない」との言葉を紹介し、鉱物性じんあいとりわけけい石粉により発起されるけい肺は、その症状の経過が比較的急行性であり、かつ進行性であることなどから、産業衛生上特に重要な研究対象となりつつあるとした。
九年『日本産業衛生協会報』(No.四三)
馬渡一得は、「鉱肺に就て 臨床的方面」と題する論文において、鉱肺の症状は、慢性気管支炎、肺組織の線維性効果の結果として起こる呼吸障害、循環障害、全身障害であって、咳嗽から始まり、息切れ、胸痛、食欲不振から肺の聴診、打診上の変化、レントゲン像の変化、肺活量の減少、うっ血の結果としての心臓肥大、チアノーゼへと進み、さらには体重減少、全身萎弱が起こり、死亡するに至るものとした上、予防法として、さく岩の際の注水や散水を指摘した。
一〇年『日本鉱山協会資料』
福岡市等で開催された鉱山衛生講習会において行われた講演の内容が紹介されている。同講演において、原田は、「鉱山衛生概論」と題して、粉じんとりわけけい石じんの吸入がけい肺の原因であるのは周知の事実であることを、有馬は、「珪肺のレントゲン診断」と題して、炭粉の吸入によって起こる肺の異変は一般に炭肺として知られるところであって、純炭じんによるものであっても子細に見ると諸所に極めて小さな硬い結節があり、これはけい肺のものと実際において同一のものであることを、八幡製鉄所病院副院長の黒田靜(以下「黒田」という。)は、「珪肺の診断」と題して、従来研究者の報告に基づいて粉じんの危害を認められる主な産業の一つとして炭坑をあげるとともに、けい肺は業務上粉じん吸入を開始した最初から長い潜伏期を経た後に発病することを、それぞれ指摘した。また、鉱山監督局技師で医学博士の西島龍は、「坑内の粉塵に就て」と題して、炭坑においてもじん肺(けい肺)が発見されていること及びその原因がけい酸じん(特に結晶性遊離けい酸)及びけい酸じん類じんを多量に継続して吸入することにあること等を指摘した上、その予防法として、粉じんの発生防止(集じん装置や水洗式さく岩機の使用、散水、清掃の実施、上がり発破の実施等)、粉じんの飛散防止(散水、換気)、粉じんの吸入防止(マスクの使用、労働時間の短縮等)、発病予防(健康診断、職務転換等)、監督指導などの有用性を唱え、さらに、内務省社会局の技師であった鯉沼茆吾は、「職業病論」と題して、主なる職業病の一つにじん肺をあげ、これを鉱物性粉じんの肺内侵入によって起こる疾病であって治療困難であり、予防専一に考えるべきことを指摘し、原因となる粉じんの発散を少なくすることの必要性を説いた。
一二年『治療学雑誌』(第七巻第一二号)
九州大学で行われた黒田の講演の内容が紹介されている。同人は、「珪肺症の概説」と題して、じん肺には石工肺、陶肺、磨工肺、鉱夫病、炭坑夫病などがあり、けい肺症は金属鉱山に多いものの、炭坑でも発生することを指摘し、さらに、これらの予防法として、通気の改善や作業の湿式化、マスク着用の必要性を説いた。
一三年『坑内浮遊粉塵調査報告(其の一)』
生野鉱山技師の吉井友秀及び同山本芳松は、坑内作業における粉じんの発生状況を詳細に調査、報告した上、さく岩機の湿式化や散水の実施、マスク使用の必要性を唱えた。
一四年『最新炭砿工学』
粉じん中最も有害なものはけい石じんであって、けい肺の原因となるが、炭坑内の粉じん即ち頁岩粉及び炭じんも多年吸入するときには炭肺となるのは周知のことであり、炭肺の症状として、咳嗽、墨汁喀痰、呼吸困難、貧血等から肺気腫に至ることもあり、さらに肺に空洞を生じることもあるとした上、予防法として通気の改善、散水、特にさく岩機、採炭機等使用の際の噴霧・散水、マスク着用の必要性を指摘している。
(二) そして、この間昭和四年には、明治二五年に制定された鉱業警察規則が改正され、「著シク粉塵ヲ飛散スル坑内作業ヲ為ス場合ニ於テハ注水其ノ他粉塵防止ノ施設ヲ為スベシ但シ已ムヲ得ザル場合ニ於テ適当ナル防塵具ヲ備ヘ鉱夫ヲシテ之ヲ使用セシムルトキハ此ノ限ニ在ラズ」(六三条)、「選鉱、焼鉱場、製錬場其ノ他ノ坑外作業場ニシテ著シク粉塵ヲ飛散スル場所ニ於テハ左ノ各号ノ規定ニ依ルベシ 一 粉塵ノ飛散ヲ防止スル為撒水、粉塵ノ排出、機械又ハ装置ノ密閉其ノ他適当ナル方法ヲ講ズルコト 二 飲料水ヲ置キ粉塵ノ混入ヲ防グ施設ヲ為スコト 三 洗面所及食事所ヲ設クルコト但シ作業場内ニ之ヲ設クル場合ニ於テハ粉塵防止ノ施設ヲ為スベシ」(六六条一項)との各規定が置かれた。
(顕著な事実)
(三) また、じん肺の発生を防止するための工学技術のうち、湿式さく岩機、乾式さく岩機用収じん機及び防じんマスクに関しては、証拠により、以下の事実が認められる。
(1) 湿式さく岩機(<証拠略>)
湿式さく岩機は、既に明治三〇年ころアメリカで制作され、我が国には同三五年に足尾銅山に導入された。その後、大正一五年には、鹿町炭鉱でインガーソル手持噴水さく岩機が使用され、昭和三年には、鹿町炭鉱に五台(インガーソルランドBCRW四三〇番ただし、このうち実際に使用中であったものはなかった。)、三菱大夕張炭鉱に五台(前同 すべて実際に使用中であった。)、茂尻炭鉱に三〇台(ホルマンブラザーHW一番 二一台のみ実際に使用中であった。)、大之浦炭鉱に二台(デンバー湿式九五番 実際に使用中であったものはなかった。)が備え付けられ、その後同六年までに、上歌志内炭鉱に一二台(デンバーウォー一一番三台、デンバーウォー九五番九台)、三菱大夕張炭鉱に六台(デンバーウォー九五番)、新歌志内炭鉱に三台(デンバーウォー一一番)、雨龍炭鉱に三台(デンバーウォー九三番)、昭和炭鉱に三台(デンバーウォー九五番)、昭和炭鉱に二台(前同)、亀山炭鉱に三台(前同)、粕屋炭鉱に八台(前同)、明治炭鉱に一一台(前同)、大之浦炭鉱に一〇台(前同)、上山田炭鉱に七台(前同)、忠隈炭鉱に三五台(前同)、綱分炭鉱に四台(前同)、平山炭鉱に一五台(前同)、赤池炭鉱に四台(前同)、豊国炭鉱に三台(前同)、嘉穂炭鉱に二一台(前同)、高嶋炭鉱に三四台(前同)、住友大瀬炭鉱に一〇台(前同)の各湿式さく岩機が導入された。なお、これらのうち、少なくともデンバーウォー九五番とインガーソルランドBCRWは二〇キログラム前後の小型さく岩機であった。また、金属鉱山においては、既に大正一三年の時点で、生野鉱山においてすべてのさく岩機が湿式のものであり、別子鉱山でも小型さく岩機はほとんどは湿式のものであった(ただし、別子鉱山では、水を注加しないで使用することが少なくなかった。)。
(2) 乾式さく岩機用収じん機(<証拠略>)
初めて乾式さく岩機用収じん機が作製されたのがいつであるかは明らかではないが、昭和二八年には、炭則の改正によって、石炭鉱山のけい酸質区域において衝撃式さく岩機を使用する場合には、鉱山保安監督部長の許可を受けて粉じん防止上湿式さく岩機と同等以上の効果があると認められる機械、器具又は装置を使用するなどの例外にあたる場合を除き、湿式さく岩機を使用しなくてはならないこととされ、右粉じん防止上湿式さく岩機と同等以上の効果があると認められる機械としては、同年足尾式一一番型さく岩機用収じん機が、同二九年にはケーニヒスボルン型さく岩機用収じん機及び宝式さく岩機用収じん機が認定された。このうち足尾式一一番型さく岩機用収じん機について、これを乾式さく岩機用収じん機として理想に近いものと評した文献(昭和二八年刊『炭坑読本』)もある。
(3) 防じんマスク(<証拠略>)
防じんマスクは、既に大正六年には重松商店により市販されていた。その後、昭和二二年には労働衛生安全規則(同年労働省令第九号)が制定され、衛生上有害な業務においては、作業に従事する労働者に使用させるために保護具の備付が義務づけられていたが、その中には「呼吸器用保護具」即ちマスクも含まれていた。そして、昭和二五年一二月には日本工業規格(JIS規格)が定められるとともに、その中の防じんマスクに係る規格が、そのまま「労働衛生保護具のうち防じんマスクの規格」(同年労働省告示一九号 以下「防じんマスク規格」という。)とされ、さらに労働衛生保護具検定規則(同年労働省令第三二号)が制定されて国家検定が実施されるようになった。その後、昭和二八年に右JIS規格が改訂され、これに伴って防じんマスク規格も改められた。なお、この改訂JIS規格により、防じんマスクは、高濃度粉じん用と低濃度粉じん用の二つの使用条件と、その性能の程度に応じ、第一種から第四種までに区分されたが、このころの防じんマスクは捕集効率をあげると吸気抵抗も高くなり、その結果坑夫が着用を好まないなどの欠点があった(吸気抵抗は水柱五ミリメートル程度であることが望ましいとされていたのに対し、右昭和二八年改訂の防じんマスク規格のうち、高濃度用粉じんマスク第一種(ろじん効率九五パーセント以上)は吸気抵抗(水柱)一八ミリメートル以下、第二種(ろじん効率九〇パーセント以上)は同一二ミリメートル以下、第三種(ろじん効率七五パーセント以上)は同八ミリメートル以下(ただし、湿式用マスクについては同一二ミリメートル以下)であり、第四種(ろじん効率六〇パーセント)でようやく同五ミリメートル以下(ただし、湿式マスクについては同一〇ミリメートル以下)とされていた。)。その後は、静電気を使用して粉じんを捕捉する静電ろ層を使用した粉じんマスクが研究されるようになり、同三五年ころには、株式会社興進会研究所によって静電ろ層に改良を加えたミクロンフィルターが開発され、これを受けて、同三六年にJIS規格が、同三七年には防じんマスク規格がそれぞれ再度改訂された(防じんマスク規格につき、昭和三七年労働省告示第二六号)。このミクロンフィルターを使用した防じんマスクは低い吸気抵抗で高い捕集効率をあげることができる画期的なものであり、右再改定後の防じんマスク規格では、直結式マスクにつき、粉じん捕集効率九九パーセント以上吸気抵抗(水柱)一〇ミリメートル以下のものが特級、同九五パーセント以上六ミリメートル以下のものが一級、同八〇パーセント以上六ミリメートル以下のものが二級とされた(ただし、粉じん捕集(ろじん)効率は、昭和三〇年の防じんマスク規格と同三七年の同規格とで試験方法が異なるので、両者の基準を単純に比較することはできない。)。
3(一) 以上で認定したところによれば、既に亡荒瀬一(同人は元従業員原告らのうち、最も早く本件鉱業所で粉じん作業に就いた者である。)が伊王島鉱業所において掘進作業に就いた年の前年である昭和二〇年までの間に、専門的な医師や技師らの間では、金属鉱山において鉱石じんを吸入することによってヨロケ、鉱肺、けい肺等と呼ばれる重篤な慢性呼吸器系疾患に罹患するのと同様、炭鉱においても炭じんを吸入することにより炭肺、鉱夫肺炎等と呼ばれる慢性呼吸器系疾患に罹患することがあり、その症状は、けい肺等に比べると比較的軽度ではあるものの、重度になると咳嗽、墨汁喀痰、呼吸困難の症状を呈し、肺気腫、肺内の空洞化に至ることもあることが認識されており、かかる研究の成果は医学専門誌だけでなく石炭時報をはじめとする炭鉱業界の情報誌や専門誌にも掲載されているのであるから、遅くとも同年までには被告等も右知見を知り得たものというべきである。
そして、右疾患の予防法としては、散水のほか、湿式さく岩機や収じん機の使用、通気の改善、防じんマスクの使用等が指摘され(この点についても医学専門誌だけでなく炭鉱業界の情報誌や専門誌に掲載されている。)、また、かかる観点から散水等の措置については法規上も義務づけられていたのであるから、被告等は、同年以降、少なくとも以下の措置を講じる義務があったというべきである(なお、以下の措置は各時代における最新の知見及び技術を取り入れた最も効果的なものでなければならない。)。
(1) 粉じんの発生、飛散を抑止するための方策として、さく岩機の湿式化又は乾式さく岩機用収じん機の使用、散水の実施
(2) 粉じん曝露を抑止するための方策として、通気の確保、上がり発破及び中食時発破の励行又は発破後十分な退避時間の確保、防じんマスクの支給及びその着用の励行
(3) じん肺の発症及び悪化を抑止するための方策として、在職中の労働者に対する健康診断の実施、有所見者の非粉じん作業への配置転換
(4) 以上の措置を有効に行うための方策として、労働者及び監督者に対するじん肺の病理及びその予防に関する教育並びにじん肺防止のための方策を徹底するための指導監督
(二) これに対し、離職後の労働者に対する健康診断については雇用契約上の付随義務にすぎない安全配慮義務としてこれを認めることはできず、また、各証拠に照らしても、いかなる粉じん濃度の中でいかなる程度の時間粉じん作業に従事した場合であればじん肺に罹患する可能性が生じその蓋然性が高くなるかは必ずしも明らかになっているとはいえないことから、一定時間粉じん作業に従事した労働者の配置転換や労働時間等の規制の義務を認めることも困難であり、補償給付や治療はそもそもじん肺防止のための方策とはいえない。
(三)(1) なお、さく岩機湿式化の義務に関し、我が国において炭鉱での実用に耐え得る湿式さく岩機が完成したのは昭和三〇年代に入ってからのことであるとする学者や被告の元従業員原告らの供述がある(<証拠略>)。この点、確かに、昭和二〇年代後半以降本件鉱業所において試験的に使用された湿式さく岩機には、当初、ノミ先が抜けなくなるなどの欠点があったことが認められる(<証拠略>)。したがって、「完成」の意味を、さっ孔作業に関して乾式さく岩機と同等の効果、効率をあげることができるようになることと捉えれば、右学者らの供述も理解できる。しかしながら、採算性を理由にじん肺という重篤な疾患を防止するための最新の技術の導入を怠ることは許されず、2(三)(1)において認定したとおり、我が国の炭鉱においても、既に大正時代の終わりから昭和時代の初期の段階で湿式さく岩機が使用されていたのであって、かかる時代の湿式さく岩機がさっ孔作業に関して乾式さく岩機と同等の効果、効率をあげ得るものではなくとも、乾式さく岩機に比べ粉じんの発生を抑止し、その結果じん肺防止に役立つものである以上、被告等はさく岩機湿式化(又は乾式さく岩機用収じん機の使用)の義務を免れない。
(2) また、防じんマスクは、2(三)(3)において認定したとおり、昭和三五年ころミクロンフィルターを使用したものが開発されるまでは、不十分といわざるを得ないものしか存在しなかったが、そのようなものであっても着用を励行することによってさっ孔等粉じんの発生が著しい作業中にのみ着用させるだけでも、じん肺罹患の防止にある程度の効果があることは自明のことと考えられるのであって、昭和三五年ころ以前の段階においても、被告等は防じんマスクの支給義務を免れない。
(四) ところで、2(一)に掲記した各証拠によっても、昭和二〇年の時点では、未だけい肺あるいはじん肺の問題が社会の関心を呼び、医学的、行政的、組織的に取り上げられるに至っていたとまでは認められない。(<証拠略>)
しかしながら、じん肺のように特殊な作業環境のもとで就労した場合にのみ発生する職業病においては、その発生の予見可能性の有無につき、医学界一般や社会的な関心の程度を問題とするのは相当ではなく、被告等の安全配慮義務の具体的内容を検討するにあたって、前記の程度の専門性・先駆性に止まる研究の成果は、これを踏まえるのが当然である。
(五) さらに、昭和三〇年ころまでは、専門家の中でも、炭じんは無害又はほとんど無害であって、炭肺は、臨床症状や機能障害の発現がほとんど認められないとする見解も強く、中には炭じんがけい肺や結核に対し予防的に作用するとの見解も存在したことが認められる。(<証拠略>)
しかしながら、これらの見解も、一部に異説はあるものの、多くは、炭肺はけい肺等に比べ線維性変化の程度が軽く、比較的短期間に肺機能障害を招来することが少ないという比較の問題にとどまり、肺内の沈着量が大量になれば機能障害を招くという点ではほぼ一致しており、そのような説があることを理由に、炭鉱においてもじん肺が発生し、これによって健康被害がもたらされることの予見可能性を否定すべきことにはならず、また、労働者の生命及び健康という被害法益の重大性に鑑みると、たとえ軽症であっても健康被害が発生することを認識し又は認識することが可能であれば、使用者は、その健康被害の発生を予防すべき安全配慮義務を負うというべきであって、労働能力に影響がない程度の軽症でしかないことの認識しか得られなかったからといって、使用者の安全配慮義務を免れさせるものではない。
4 なお、一般に、行政法令上の安全基準や衛生基準は、使用者が労働者に対する関係で当然に負担すべき安全配慮義務のうち、労働災害の発生を防止する見地から特に重要な部分にしてかつ最低の基準を公権力をもって強制するために明文化したものにすぎないから、これらの基準を遵守したからといって、信義則上認められる安全配慮義務を尽くしたものということはできず(福岡高裁昭和六〇年(ネ)第一八一号、第一八二号、第三三九号、第七〇一号平成元年三月三一日判決・判例時報一三一一号三六頁参照)、このことは石炭産業が現代における不可欠の基幹産業として、国の石炭政策のもとに遂行されてきたものであることや、鉱山保安法や炭則等が、各時代における鉱山技術や衛生工学技術の最高水準を取り入れたものであること、さらには労働基準法その他の行政、労働法上の災害補償制度が存在することによっても変わりはない。また、このことからすれば、金属鉱山に対する行政法令と炭鉱に対するそれとの差異(金属鉱山に対する行政規制の方がより厳格であり、炭鉱においては規制がない事項もあったこと)や、旧じん肺法までは、もっぱら遊離けい酸が規制対象とされていたことを理由として、安全配慮義務を免れることもできない。したがって、被告等は、鉱山保安法や炭則等の規定を遵守することによって、安全配慮義務を尽くしたということはできない。
なお、労働災害補償制度は、一定の範囲内で労働者や遺族の生活保障を図るものにすぎず、労働災害に際して被災労働者がさらに損害賠償を請求し得ることは、労働基準法八四条二項及び労災保険法一二条の四第二項の規定からも明らかである。
三 争点3(下請鉱夫に対する安全配慮義務)について
1 二においては、雇用契約上の付随義務として認められる安全配慮義務を検討したが、安全配慮義務は、ある法律関係に基づき特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであって(最高裁昭和四八年(オ)第三八三号同五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁参照)、必ずしも直接の雇用契約関係を必要とするものではないと解される。この点、下請企業と元請企業との間の請負契約に基づき、下請企業の労働者が、下請企業を通じて元請企業の指定した場所に配置され、元請企業の供給する設備、器具等を用い、元請企業の指示のもとに元請企業が直接雇用する労働者と同様の労務の提供を行うといった事情がある場合には、下請企業の労働者と元請企業は、直接の雇用契約関係にはないものの、元請企業と下請企業との請負契約及び下請企業とその労働者との雇用契約を媒介として間接的に成立した法律関係に基づき特別な社会的接触の関係に入ったものと解することができ、このような場合には、実質的に見ても、元請企業は作業場所、設備、器具等の支配管理又は作業上の指示を通して、物的環境や作業内容上からくる下請企業の労働者に対する労働災害や職業病の発生を予見し、これらを回避するための措置をとることが可能であり、かつ、信義則上、右災害等の発生を予見し、その結果を回避するための措置をとることが要請されてしかるべきであると考えられるから、元請企業は、下請企業の労働者が当該労務を提供する過程において、安全配慮義務を負うべきものと解するのが相当である。
2 これを本件について見ると、証拠等により、以下の事実を認めることができる。(<証拠略>)
昭栄土建は、独自の組織を有し、被告とは別個の独立した企業であり、被告が経営する伊王島鉱業所坑内における一部箇所の掘進作業を請け負っていた。昭栄土建に雇用されて右作業に従事した労働者は、その作業の性質上、当然に被告が指定した場所、即ち伊王島鉱業所に配置されることになり、同鉱業所で就労する掘進夫の作業内容は、被告に雇用された者と昭栄土建に雇用された者とで違いはなかった。また、被告は、同鉱業所における主要な設備を支配・管理し、掘進作業を請け負った昭栄土建に対し、坑枠鋼、ペーシ、ボルトナット、爆薬、雷管、坑木を供給したほか、昭栄土建に雇用されて伊王島鉱業所で働く作業夫が使用するさく岩機やピックも被告が供給していた。そして、昭栄土建の代表者又はその代理人は、常に現場に出頭して被告が指定する現場監督員の指揮監督に従うこととされ、被告は、昭栄土建が使用する作業夫の技術等が不適当と認めたときは、同社に作業夫の変更を要求することができるものとされていた。
3 このような事実のもとでは、昭栄土建に雇用され、伊王島鉱業所において掘進作業に従事した亡荒巻茂文ら二名は、直接被告等に雇用されていたわけではないものの、1記載の基準に照らし、被告と特別な社会的接触関係に入ったものと解することが相当であって、実質的にも、被告は、作業場所や設備の支配管理又は昭栄土建の代表者又はその代理人を介した作業上の指示を通して、昭栄土建に雇用された労働者のじん肺罹患を予見し、その結果を回避するための措置をとることが可能であり、かつ、信義則上、右結果発生を予見し、これを回避するための措置をとることが要請されてしかるべきであるから、被告は、本件下請鉱夫らに対しても、安全配慮義務を負っていたというべきであり、その内容は、二3(一)に記載したのと同様である。なお、昭栄土建に雇用された作業夫が使用する防じんマスクについては、被告がこれを支配・管理していたことを認めるに足りる証拠はないが、一1において認定した坑内環境の中で掘進作業に従事させる以上、被告には、本件下請鉱夫らに対し、適切な防じんマスクを自ら貸与又は支給若しくは昭栄土建をして貸与又は支給させる義務もあったというべきである。
四 争点4(被告等の安全配慮義務違反の有無等)について
1 さく岩機の湿式化又は乾式さく岩機用収じん機の使用、散水の実施の義務について
この点に関する本件鉱業所の状況は、一において認定したとおりであり、本件鉱業所のいずれの鉱においても、右義務の履行は、年代の如何を問わず不十分であり、元従業員原告らとの関係でも右義務の不履行が認められる。
2 通気の確保、上がり発破及び中食時発破の励行又は発破後十分な退避時間の確保、防じんマスクの支給及びその着用の励行の義務について
(一) まず、本件鉱業所における通気の状況は、一において認定したとおりである。
ところで、通気は、その風量によっては、堆積した粉じんの再飛散を招くことがあるために、いたずらに風量を増大させることは、かえってじん肺防止のために逆効果になるところ、被告等が現に行っていた通気の風量を、再飛散を招かない範囲で、いかに増加させるべきであったのかは明らかではなく、また、直列通気方式をとっていたと認めるに足りる証拠はない。したがって、主要通気に関しては、被告等がとった措置が不十分であったと断定することはできない。
しかしながら、局部通気については、スライシング法による採炭が行われていた箇所での下段に適切な風量が確保されなかったこと、適切な局部扇風機の設置や目抜き工事が行われないことがあったこと、風管の破損等による漏風が発生し、その修理も速やかに行われなかったことがあること、車風が生じることがあったこと等の点で、本件鉱業所のいずれの鉱においても不十分な点があったといわざるを得ず、元従業員原告ら(ただし、坑外作業のみに従事した原告亀田健を除く。)との関係でも義務の不履行が認められる。
なお、本件鉱業所においては前進式長壁払法がとられたこともあり(ただし、北松鉱業所御橋鉱及び同神田鉱を除く。伊王島鉱業所及び北松鉱業所鹿町鉱につき一1(二)(2)及び同3(三)(2)記載のとおり。嘉穂鉱業所については<証拠略>による。)、<証拠略>によれば、かかる場合、掘進作業で発生した粉じんが採炭切羽に流入する問題点のあることが認められるが、元従業員原告らが本件鉱業所において就労した年代等に照らし(伊王島鉱業所及び北松鉱業所で右採炭方法がとられた年代は必ずしも明らかではなく、元従業員原告らが就労した前のことであるとも見られる。また、嘉穂鉱業所において右採炭方法が取られたのはごく一部の箇所だけであったものと認められるところ、元従業員原告らのうち同鉱業所で就労した唯一の人物である亡小瀬良喜代喜が右箇所付近で就労したことがあったか否かについては明らかではない。)、右採炭方法をとったことが元従業員原告らに対する関係でも問題があったと断定することはできない。
(二) 次に、本件鉱業所における上がり発破及び中食時発破の励行又は発破後十分な退避時間の確保の点についても、一において認定したとおりであって、少なくとも北松鉱業所神田鉱及び同鹿町鉱を除くと、上がり発破や中食時発破が行われないことが多く、また、かかる実情に照らすと、右両鉱においても、上がり発破及び中食時発破が常に厳守されていたものとは考えられず、その限度で右両鉱でも不十分な点があったといわざるを得ない。そして、上がり発破又は中食時発破以外の発破が行われた場合の退避時間の確保については本件鉱業所のいずれの鉱でも不十分であった。このように、上がり発破及び中食時発破の励行又は発破後十分な退避時間の確保の点についても、本件鉱業所において被告等がとった措置は不十分なものであり、元従業員原告ら(ただし、発破が行われる掘進、採炭、仕繰の各作業に従事したことのない原告亀田健及び同松山年治を除く。)との関係でも、義務の不履行が認められる。
(三)(1) さらに、本件鉱業所における防じんマスクの使用状況については、証拠により、以下の事実が認められる。(<証拠略>)
従来は、本件鉱業所のいずれにおいても、被告等が作業夫に対し防じんマスクを支給することはなく、昭和二四年ころから、掘進夫等の一部に対し、防じんマスクを貸与するようになった。被告は、その後、昭和三〇年に九州地方労働組合連合会との間でけい肺協定を締結し、けい肺を生じるおそれのある粉じん作業に就業する者に防じんマスクを無償で貸与することとした上、各鉱業所毎に防じんマスク貸与規程を定め、その貸与対象を採炭夫等にも広げ、さらに、同三六年には、右連合会との間でじん肺協定を締結し、貸与の対象を常時粉じん作業に従事する者全員に広げ、同三〇年代中には基本的にすべての坑内夫及び粉じん作業に従事する坑外夫に貸与するようになった。なお、元従業員原告らのうち、原告岩永健及び同藤井誠はいずれも、被告から防じんマスクを支給されたことはなかった旨供述している(<証拠略>)が、前掲各証拠並びに両原告の被告のもとでの就労期間及び作業内容に照らし、右供述は採用できない(これに対し、原告亀田健及び同松山年治も同旨の供述をしている(<証拠略>)が、右認定事実を前提にしても、右両原告の被告のもとでの就労期間や作業内容からして、被告から防じんマスクが支給されていない可能性も十分考えられ、これに右供述を併せ考慮すると、右両原告には、被告から防じんマスクが支給されたことはなかったものと認められる)。
貸与された防じんマスクの交換期限は、一年半(ただし、締紐及びろ過具は半年)とされていた時期もあり、その後順次短くなったが、昭和四〇年代になってからも六か月(部品については二〇日)を下回ることはなかった。
右期間は、その当時の防じんマスクの性能からすると、かならずしも十分な性能を保持し得ないものであったが、交換期限前の従業員の交換要求は、容易に応じられなかった。その上、その性能から、ひとつの防じんマスクを連続して使用することが困難であったこともあり、元従業員原告らの中には、自費で予備の防じんマスクを購入していた者もあった。
なお、被告等が貸与した防じんマスクには、種々のものがあり、昭和三六年六月の時点では、伊王島鉱業所には、株式会社重松製作所製のTS式二号(昭和三〇年改訂の防じんマスク規格の高濃度粉じん用第三種。なお、以下のTS式はいずれも株式会社重松製作所製のものである。)四三一個、株式会社興進会研究所製のサカヰ式一六号P型(同第三種。なお、以下のサカヰ式はいずれも株式会社興進会研究所製のものである。)五六一個が、嘉穂鉱業所には、TS式一〇号E型(同第一種)七四個、TS式DR六号K型(同第四種)七七〇個、TS式DR二二号(同第四種)六〇個が、北松鉱業所には、TS式DR五号(同第四種)八個、TS式DR三五号(同第三種)一〇一個、サカヰ式一七号P型(同第二種)六一一個、サカヰ式一八号C型(同第二種)二九個がそれぞれ備えられていたが、昭和三七年ころ以降は、各鉱業所とも閉山までサカヰ式一一七号が用いられた。これは、粉じん捕集効率86.6パーセント、吸気抵抗(水柱)4.2ミリメートルの性能を有する。昭和三七年改訂後の防じんマスク規格の第二級に相当するものであった。
また、防じんマスクの貸与を受けてもこれを着用しない作業夫が多かったが、係員らがこれを注意することはまれにしかなく、防じんマスク貸与の際、その着用の目的を教示することもほとんどなかった。
(2) 以上のとおり、本件鉱業所において、昭和二四年ころまでは、被告等はまったく防じんマスクを貸与しておらず、同三〇年代に入った後も坑内夫ですら一部の者には貸与していなかった点で被告の対応は不十分であったといわざるを得ず、また、防じんマスクを貸与するようになってからも、耐用期間に見合った交換をしなかったり、着用を怠る坑夫に対し注意をしたり着用の目的を教示することをしなかった点で不十分な点があったといわざるを得ず、元従業員原告らとの関係でも、防じんマスクの支給又はその着用の励行の義務の不履行が認められる。
もっとも、貸与した防じんマスクの種類の選定に関しては、昭和三六年の時点では、被告が本件鉱業所に備えていた防じんマスクは、第三種、第四種のものが多く、その後被告が貸与するようになったサカヰ式一一七号も第二級のものであって、いずれの段階でも粉じん捕集効率の点ではより優れたものが存在していたが、防じんマスク選択の是非は、粉じん捕集効率(ろじん効率)の点だけでなく、吸気抵抗等や重量、視界の広さ、管理のしやすさ等も考慮した総合的な観点から判断すべきところ、たとえばサカヰ式一一七号は、洗濯使用が可能であっただけでなく、吸気抵抗上昇率が低いという特長を有している(<証拠略>によれば、連続一時間の使用による吸気抵抗上昇率が、サカヰ式一一七号は6.8パーセントであって、当時の主な防じんマスクの中で最も低い数値を示している。)など、被告の選定を一概に不当と断定することはできない。
3 在職中の労働者に対する健康診断の実施、有所見者の非粉じん作業への配置転換の義務について
(一) まず、本件鉱業所における健康診断の実施状況については、証拠等により、以下の事実が認められる。(<証拠略>)
(1) 昭和二二年に労働基準法(同年法律第四九号)及び労働安全衛生規則が制定、施行され、一定の事業の使用者に、労働者に対する定期の健康診断の実施等が義務づけられた。被告等は、遅くともそのころ以降、本件鉱業所において、右法規に基づく年二回の定期健康診断を行うようになり、各鉱業所の中央病院や各鉱に設けられていた診療所において、全従業員を対象にエックス線の間接撮影や内科問診、外科運動機能検査等の検査をして、その結果異常が認められた者に対しては、エックス線直接撮影や赤血球沈降速度検査、喀痰検査等を行った。このほか、結核予防法に基づき、全従業員に対し、ツベルクリン反応検査を行っていた鉱業所もあった。
被告等は、右健康診断を受診するよう、口頭伝達や文書掲示のほか、各鉱業所で発行され従業員に配布されていた新聞(「伊王島」、「嘉穂」、「北松」等)への掲載により啓蒙活動を行い、未受診者に対しては、再度、受診期日を設けることもあったため、本件鉱業所のいずれにおいても、受診率は高かった。
しかしながら、これらの健康診断は、特にじん肺罹患の有無を診断する目的で行われたものではなく、じん肺罹患者の早期発見には不十分なものであったといわざるを得ない。
(2) その後、北松鉱業所では、昭和二六年ころ、けい肺患者の発見を目的として、被告が鹿町鉱南坑の従業員に健康診断を受診させ、これにより、けい肺患者が発見され、行政上の決定を受けたほか、同二七年には、労働省によるけい肺巡回検診が行われ、数名の者がけい肺患者の認定を受け、その旨が被告から当該作業員に通知された。また、同二八年には、来所した慈恵医大の医師による診断が行われた。
さらに、右のように北松鉱業所でけい肺罹患者が発見されたことから、伊王島鉱業所においても、昭和三〇年の定期健康診断によりけい肺の疑いが認められた者について、翌年再度検査を行い、その結果三名のけい肺罹患者が発見された。同様に、嘉穂鉱業所でも、昭和三〇年、けい肺罹患者が発見された。
(3) この間、昭和三〇年にけい肺保護法が制定、施行され、使用者に、粉じん作業に従事する労働者に対する就業の際及びその後三年毎のけい肺健康診断(直接撮影による胸部全域のエックス線写真による検査、胸部に関する臨床検査(以下「胸部臨床検査」という。)及び粉じん作業についての職歴の調査により行われる。)及び同診断の結果医師によりけい肺にかかっていると診断された労働者に対する心肺機能検査又は結核精密検査の実施等が義務づけられた(ただし、同法施行後最初のけい肺健康診断等は、都道府県労働基準局長が行うこととされた。)(同法三条、二条一項三号、同法附則三項)。
また、昭和三五年には、じん肺法が制定、施行され、使用者に、粉じん作業に従事する労働者に対する就業時、定期(常時粉じん作業に従事する労働者に対しては原則として三年毎。ただし、健康管理区分の管理二又は同三である者については一年毎。)及び定期外の各じん肺健康診断(直接撮影による胸部全域のエックス線写真による検査及び粉じん作業についての職歴の調査(以下「エックス線写真検査等」という。)、胸部臨床検査、結核精密検査及び心肺機能検査の方法により行われる。)の実施が義務づけられた。ただし、このうち胸部臨床検査は、エックス線写真検査等の結果じん肺にかかっていないと診断された者以外の者について、結核精密検査は、エックス線写真検査等及び胸部臨床検査の結果、肺結核が合併し、又は合併している疑いがあるじん肺にかかっていると診断された者(ただし、エックス線に一側の肺野の二分の一を超える大きさの大陰影(じん肺によるもの(肺結核のみによるものを除く。)に限る。)があると認められる者を除く。)について、心肺機能検査は、エックス線写真検査等及び胸部臨床検査の結果、じん肺にかかっていると診断された者(ただし、エックス線写真に一側の肺野の二分の一を超える大きさの大陰影があると認められる者及び結核精密検査の結果活動性の肺結核があると診断された者を除く。)についてのみ、それぞれ行うものとされた。(昭和五二年改正前の同法(以下「旧じん肺法」という。)三条、七ないし九条)。
(4) これらの法律の制定を受け、嘉穂鉱業所では昭和三〇年に、伊王島鉱業所では同三一年に、北松鉱業所では同三〇年及び同三一年の両年にわたり、それぞれ第一回のけい肺健康診断が、坑内直接夫を主たる対象として行われ、伊王島鉱業所では、三三名のけい肺罹患者が発見された後、被告自身による第二回のけい肺健康診断も行われ、さらに、昭和三五年以降は、坑内間接夫も対象としてじん肺健康診断が行われた。被告は、これらの健康診断の際にも、一般健康診断と同様、従業員に受診を呼び掛け、一次検査を受検しなかった者に対しては、文書で通知していた。また、一次検査であるエックス線写真検査などの結果、けい肺保護法の下ではけい肺にかかっていると診断された者、旧じん肺法の下ではじん肺にかかっていないと診断された者以外の者に対し、二次検査である心肺機能検査等を受検するよう通知し、さらに同検査等の結果けい肺又はじん肺にかかっていると診断された者については、前記各法に基づき、けい肺保護法のもとでは症状等、旧じん肺法下では健康管理区分の決定の申請を行い、決定がなされた後は、その内容を本人に通知していた。
(5) なお、伊王島鉱業所におけるけい肺健康診断又はじん肺健康診断の記録として、被告から提出された「粉じん作業職歴証明書」には受診者の記名、押印がなされているが、<証拠略>によれば、受診者本人による署名、押印かどうか疑わしいものもある。しかしながら、本件と同様、被告が経営する鉱業所で就労したためにじん肺に罹患したとして被告に損害賠償を求めた訴訟(当庁昭和六〇年(ワ)第五八〇号、五八一号、同六一年(ワ)第二四七号損害賠償請求事件)の原告らの中にも、昭和三一年及び同三四年のけい肺健康診断を受けたと供述している者もいる(<証拠略>)ことからすれば、被告から提出された粉じん作業職歴証明書がすべて虚偽のものであるとはいえず、また、前述のとおり、一般の健康診断の受診率が高かったことも併せ考えると、けい肺健康診断及びじん肺健康診断それ自体は一応は行われたものと認められる。
(二) 以上のとおり、本件鉱業所においては、それが十分なものであったかはさておき、各種健康診断が実施されていたこと自体は認められる。
しかしながら、伊王島鉱業所におけるけい肺健康診断又はじん肺健康診断の記録として被告から提出された「けい肺健康診断個人票」「けい肺健康診断・心肺機能検査・結核精密検査の結果証明書」「じん肺健康診断・胸部に関する臨床検査・結核精密検査・心肺機能検査・その他の検査の結果証明書」の中には、身長体重の測定結果とエックス線写真の番号が記載されているのみで、胸部臨床検査については記載がないものが多く(<証拠略>)、かかる事実からすると、同検査が全受診者に対しては行われていなかったものと認められ(エックス線写真検査等の結果、けい肺又はじん肺所見の認められた者に対しては行われていたと認められる。)、少なくとも伊王島鉱業所において昭和三一年以降行われたけい肺健康診断は、法定の要件すら満たさない不十分なものであったといわざるを得ない。これに対し、旧じん肺法の下では、胸部臨床検査は、エックス線写真検査等の結果、じん肺にかかっていないと診断された者以外の者に対してのみ行うこととされていた(同法三条二項)ことからすると、同法施行後のじん肺健康診断においては、エックス線写真の読影を正確に行い、じん肺罹患者を早期に発見するための判断資料を収集するために胸部臨床検査が全受診者に行われることが望ましかったとはいえるが、その不実施自体を直ちに不十分なものということはできない。
なお、けい肺健康診断及びじん肺健康診断の結果の通知に関しては、前記のとおり、被告は、二次検査の通知を行い、症状等又は健康管理区分の決定がなされた場合には、その内容の通知もしており、格別問題があったとはいえない。
(三) なお、配置転換については、前述のとおり、これが安全配慮義務の内容となるのは、じん肺有所見者に対するものに限られるところ、少なくとも元従業員原告らの関係においては、いかなる時点において元従業員原告らがじん肺有所見者になったかの点について、何らの主張・立証もない(<証拠略>には、亡荒瀬一が昭和二六年にじん肺有所見の診断を受けた旨の記載があるが、<証拠略>によれば、同人は、昭和四三年に被告によって行われたじん肺健康診断で、異常なしの診断を受けていることが認められ、<証拠略>の右記載内容は採用できない。)から、この点につき被告等がとった措置に不十分な点があったか否かを検討する前提を欠く。
4 労働者及び監督者に対するじん肺の病理及びその予防に関する教育並びにじん肺防止のための方策を徹底するための指導監督の義務について
(一) まず、証拠等によれば、以下の事実が認められる。(<証拠略>)
(1) 被告は、昭和三〇年のけい肺協定締結後、本件鉱業所毎にけい肺対策委員会規程を制定し、健康診断や保護具、配置転換に関する事項等のほか、けい肺予防の思想の普及に関しても審議することとし、その結果、毎年一回けい肺対策委員会が開かれるようになった。なお、けい肺対策委員会規程は、じん肺協定締結後、じん肺対策委員会規程に改められ、けい肺対策委員会はじん肺対策委員会となった。
また、被告は、昭和三三年には、伊王島鉱業所に長崎大学の教授を招き、けい肺に関する講演会を開き、その要旨を新聞「伊王島」に載せたほか、同新聞にけい肺に関連したクイズを載せるなどして、けい肺に関する知識の普及を図った。その後、昭和三六年には、「みんなの保安」と題する教育用の資料の中でじん肺をとりあげ、作業夫にマスクの着用を促したほか、労働基準監督署主催の主任衛生管理者研修会(そこでは、じん肺を含む職業病についての講義等が行われた。)に担当者を参加させた。また、昭和四一年から同四二年にかけては、本件鉱業所等被告が経営する各鉱業所において、じん肺及びミクロンフィルターマスクに関する教育用のスライドの巡回上映も行った。さらに、伊王島鉱業所では、閉山間際のころ、従業員を集め、保安係によるじん肺の原因や症状等の説明も行った。
以上のような活動にもかかわらず、本件鉱業所において、少なくとも一般の各作業夫にまではじん肺の病理や予防法に関する知識は十分浸透するに至らず、多くの作業夫は粉じんの吸入がじん肺をもたらすことすら知らないままであった。
(2) なお、これらの活動に先立ち、昭和二四年に鉱山保安法(同年法律第七〇号)及び炭則が制定、施行され、鉱業権者に保安規程の制定及び保安委員会の設置が義務づけられたことから、被告等は、本件鉱業所毎に保安規程を制定し、保安委員会を設置した。保安委員会とは、労使双方から選出された委員により構成され、保安に関する重要事項を調査審議するもので、毎月一回開かれ、各職場を巡視し、その結果をもとに保安衛生に関する問題を検討した。また、北松鉱業所の各鉱には、保安委員会とは別に安全委員会が設けられ、毎月一回、各職場の代表により、災害に関する事例研究や検討会などが行われた。
このほか、各坑の各係においては主任係員が部下である係員を集めて行う係員会議が少なくとも毎月一回は開かれ、安全委員会等の討議結果が伝達されるなどした。
また、作業夫に対する直接の教育としては、係員と作業夫が毎月一ないし二回、作業上及び保安上の問題点等を協議する懇談会が設けられ、その中で係員会議で決まったことなどが伝達されたほか、始業前繰込場で行う五分間教育や、各現場でその都度行う機会教育、新規採用時の教育、各種資格取得時の教育等があった。
しかし、これら各種の委員会や教育等は、主として災害防止のためのものであって、けい肺又はじん肺に関する問題が取り上げられることはまれにしかなかった。
(二) このように、本件鉱業所において被告等がした労働者及び監督者に対するじん肺の病理及びその予防に関する教育並びにじん肺防止のための方策を徹底するための指導監督は、いずれも不十分なものであったといわざるを得ず、元従業員原告らとの関係でも、右教育及び指導監督義務の不履行が認められる。
5 安全配慮義務の履行に関するまとめ
1ないし4において認定した事実を総合すると、二3(一)記載の各義務に関して被告等がとった措置はいずれも不十分な点が多く、被告等は、元従業員原告らに対し、安全配慮義務の履行を怠ったものといわざるを得ない。
6 被告等の安全配慮義務違反と元従業員原告らのじん肺罹患等との因果関係
じん肺は、多量の粉じんを吸入したことが原因となって発生するものであるところ、元従業員原告らが従事した本件鉱業所における堀進、採炭、仕繰等の粉じん作業は、適切な防じん措置を施さなければ、粉じんが発生し、これに曝露するというものであり、元従業員原告らは、第二の一1(二)において認定したとおり、短い者で二年七か月(原告黒木巖)、長い者で二五年七か月(亡荒瀬一)にわたり、右各作業に従事している。そして、その間、被告等は1ないし4において認定したように、粉じんの発生を抑止し、粉じん曝露を回避するための義務を十分に履行せず、健康管理やじん肺教育に関する義務の履行も怠っていたのであるから、元従業員原告らは、被告等の安全配慮義務の不履行により、じん肺に罹患したものということができる。
本件鉱業所での就労期間が比較的短い原告黒木巖及び同藤井誠を含め、本件全証拠を検討しても右認定を覆すに足りる証拠はない(なお、他の粉じん職歴との関係は、後記六において検討する)。
7 被告等の有責性
一において認定した本件鉱業所の坑内環境及び各作業の実態等(被告等は、これを正確に認識すべきであった。)や二2において認定した昭和二〇年までに被告等が知り得たじん肺に関する知見、さらには右1ないし4において認定した被告等の安全配慮義務の不履行の態様に照らすと、被告等には、元従業員原告らのじん肺罹患につき、少なくとも過失があったと認められ、責に帰すべからざる事由があったと認めることはできない。
なお、原告らは、被告には、元従業員原告らのじん肺罹患に対する認容があり、故意責任があると主張するが、本件全証拠によっても、被告が元従業員原告らのじん肺罹患を認容していたとまでは認めることはできない。
この点、終戦直後からほぼ昭和二三年ころまで、わが国はかつてない混乱の中にあったことは顕著な事実であり、また、<証拠略>によれば、石炭鉱業においては、出炭割当等増産要請からの管理、規制が課せられ、被告等も石炭鉱業を目的とする企業のひとつとして右の例にもれなかったことが認められ、右時期には、一民間企業にすぎない被告等において、二3(一)に記載した安全配慮義務を完全に履行することは著しく困難であったと考えられるが、このことをもって、労働者の生命、身体の保護を目的とする安全配慮義務の履行につき期待可能性がなかったとまではいうことはできない。
五 争点5(元従業員原告らの損害)について
1(一) 原告らは、元従業員原告らの逸失利益、じん肺罹患を原因として支出した治療費、入院費等の具体的な財産的損害についての主張、立証を行わないまま、元従業員原告らの受けた損害に対する賠償の一部請求として、元従業員原告各人につき、一律三〇〇〇万円の包括的な損害賠償とその一割に相当する弁護士費用を請求しているが、一般に、債務不履行を原因とする損害賠償請求訴訟において、損害費目とその額及びその損害算定の基礎となる事実は主要事実をなすものであって、このことは、じん肺に罹患したことによって損害賠償を求める場合、じん肺罹患者が受ける不利益に関しては後に説示するような特殊性があることを考慮に入れても、変わるものではない。したがって、原告らは、本来、右の点について、具体的に主張、立証する必要があると解すべきである。
(二) このため、原告らの本件各請求については、これを具体的な財産的損害の賠償を求めたものではなく、財産、生命、身体及び人格等一切に生じた損害に起因する精神的損害に対する慰籍料並びに弁護士費用を求めたものとして理解せざるを得ず、これが、原告らの意思の合理的解釈としても相当であるということができる。そこで、以下においては、これを前提に賠償額を算定することとする。
もっとも、原告らは、本件各請求のほかには、財産的損害、精神的損害等名目の如何を問わず、将来、別訴提起等によって賠償を求める意思がない旨陳述しており、これにより、原告らは、被告等の本件安全配慮義務不履行に起因する全損害につき、本件訴訟において認容される以外は、被告から賠償を受けることができないということができるのであるから、右慰籍料額算定にあたっては、このような事情も考慮に入れることが相当である。
2(一) そして、原告らが、受けるべき慰謝料額を算定するにあたっては、まず、じん肺の病理機序及び病像等についての理解が必要であるところ、この点に関しては、証拠により、以下の事実が認められる。(<証拠略>)
(1) じん肺とは、粉人を吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病である(じん肺法二条一項一号)。
粉じんが体内に吸入された場合、少量であれば、気管支に付着した後、粘膜の上皮細胞の線毛の働きで痰に混じって喀出され、また、肺胞にまで達した場合も、呼気とともに排出される。ところが、吸入された粉じんが大量の場合には、右のような生理作用だけでは足りず、粉じんはマクロファージ(食細胞)に取り込まれて肺間質のリンパ管に入り、リンパ腺に運ばれて蓄積される。そして、周辺の細胞が増殖し、その結果細胞が壊れ、それがもとになって線維が形成され、リンパ腺は閉塞する。そうすると粉じんは肺胞腔内に蓄積するようになり、肺胞壁が壊れることによって肺胞腔内での線維化が生じ、固い結節が形成され、さらに、肺胞壁は閉塞し、結節は融合して手拳大の塊状巣となって、その中の気管支や血管は、狭窄し、閉塞に至る。もっとも、けい酸じん以外の粉じんの吸入によるじん肺では、リンパ腺の変化はほとんどないかごく弱いまま、肺胞腔内での変化が生じる。また、これらの病変に伴い、気管支においても、慢性の炎症性変化が生じた後、線維化が始まり、呼気時の気道の抵抗が大きくなって、末梢の肺胞壁に負担がかかり、次第に壁が壊れ、肺胞腔が拡大し、肺気腫に至る。
右病変は、気管支における初期の炎症性変化の点を除いて不可逆的であり、粉じんの吸入をやめても肺内に粉じんが存在する限り進行するものであって、現在の医学では治療は不可能である。もっとも、右病変の進行は、粉じんの種類や量に対応するものであって自ずと限界があり、また、個人の資質も影響する。
(2) じん肺の主な症状は、作業時に息切れを感じる等の呼吸困難、咳や痰であり、動悸、喘鳴、胸や背中の痛み、全身倦怠感、食欲低下、体重減少等をもたらすこともあり、重篤になると、著しい呼吸困難のために日常生活上の身の回りのことですらできなくなり、呼吸不全により死に至ることもある。
また、じん肺に罹患すると、法定の合併症や閉塞性の気管支炎のほか、肺炎等の呼吸器感染症にも罹患しやすくなる。かかる現象は一応可逆的ではあるが、完治させて再発を抑えることは困難である。
さらに、じん肺を含む慢性肺疾患一般は、肺性心をもたらしやすく、二次性多血症から心筋梗塞や脳血管障害に至ったり、低酸素血症や低炭酸ガス血症により脳血管不全が生じて脳梗塞に至ることもあり、その他、虚血性心疾患や、消化性潰瘍、腎機能障害、肝機能障害、不整脈、性腺機能や副腎皮質機能の低下も高率で生じる。
(3) もっとも、じん肺に罹患しても、肺機能回復体操(換気体操)等の運動療法や呼吸訓練を行うことによって、肺の予備能力の発揮や呼吸に関連する筋肉の能率の上昇により、肺機能が改善される余地はあるが、じん肺自体の病変がこれで治癒するものではなく、また、改善の効果も広く実証されるには至っていない。しかも、じん肺罹患者が運動療法等を試みるには、その症状の程度に応じ慎重な配慮を要し、右療法による肺機能障害の改善を一般的に期待することはできない。
(二) なお、<証拠略>によれば、鉱物性粉じんにはアジュバント効果(体液性免疫の異常亢進)があり、じん肺罹患者や粉じん曝露者には、疾患の発生機序に自己免疫疾患的なメカニズムが関与していると考えられている進行性硬化症、慢性関節リュウマチ等の膠原病やその近縁疾患及び発症に免疫学的な機序が重視されているサルコイドーシスやびまん性間質性肺炎等の罹患率が高く、じん肺を自己免疫疾患の一腫として把握する見解が有力に唱えられていることが認められる。
しかしながら、右見解に反対する見解もある(<証拠略>)ほか、右各証拠によっても、じん肺自体の免疫学的な機序は明らかでない上、各種膠原病等の罹患については、じん肺に罹患していない粉じん曝露者の罹患率も高いとされているのであるから、じん肺自体を自己免疫疾患の一種であると断定することはできないといわざるを得ない。
(三) また、<証拠略>によれば、各種の粉じん曝露者及びじん肺罹患患者には、肺がんのほか胃をはじめとした消化器その他の臓器の悪性腫瘍が高率に発生することが認められる。
しかしながら、右各証拠によってもじん肺から各種臓器の悪性腫瘍に至る病理機序は明らかでない(じん肺が自己免疫疾患であることや塊状巣の形成過程が発がんの母地となるとして説明する見解はあるが、前者については、(二)において認定したとおり、じん肺を自己免疫疾患であると断定することはできないし、後者についても未だ定説というべき見解とは認められない。)上、けい酸じんをはじめとしたある種の粉じんにはそれ自体に発がん性があるとする研究もあることが認められるのであって、じん肺自体が各種がんのリスクファクターであると断定することはできない。
3(一) 2(一)(1)において認定したとおり、じん肺の進行性にも限界や個人差があることからすれば、原告らの慰謝料額算定にあたって、元従業員原告らの現時点(故人についてはその死亡当時)におけるじん肺の進行の程度や症状の差異を無視することはできず、元従業員原告各人の慰謝料額はこれらの差異に応じた異なるものにならざるを得ない。
(二)(1) ところで、じん肺法は、じん肺に関し、適正な予防及び健康管理その他必要な措置を講ずることにより、労働者の健康の保持その他福祉の増進に寄与することを目的とするものであって(同法一条)、管理区分は、同法の規定により健康管理を行うため(四条二項)に行政上決定されるものにすぎないが、その決定は、第二の一4(一)において認定したとおり、エックス線写真検査や肺機能検査等によるじん肺健康診断の結果、一般の医師がじん肺所見があると判断した者につき、じん肺に関し相当の学識経験を有する医師の中から労働大臣により任命された地方じん肺診査医が診断、審査することによって行われ、エックス線写真の像の型と著しい肺機能障害の有無の組合せによって分類されるものであることからすれば、管理区分は、じん肺の進行の程度や症状を客観的に示すものとして、信用性の高いものということができる。
(2) この点、エックス線写真の像の読影は、これを担当する医師の技術水準や画像の良否ひいては撮影機器の性能や撮影条件、エックス線技師の技術的熟練度によって左右され、肺機能検査についても、正確な検査結果が得られるかどうかは、測定機器の性能や検査科の技師及びデータを読み取る医師の能力にかかる面があることは否定できない。このほか、<証拠略>によれば、肺機能検査には、被検者が恣意を入れる余地があることや、喫煙による影響が考慮されていないこと、加齢によっても肺機能は低下することが十分考慮されておらず、とりわけフローボリューム曲線による検査から得られるVドット二五の基準では、ともすると、高齢者は誰でも著しい肺機能障害があることになりかねないことなどの問題点や、合併症の影響で肺機能が低下した場合は、これはじん肺自体の進行によるものとはいえないのに、じん肺による著しい肺機能の障害があるとして、管理四の決定がなされてしまう例があるのではないかといった疑問点が指摘されていることが認められる。
しかしながら、まず、エックス線写真の像の読影に関しては、第一次的にこれを行う一般の医師の技術水準に不十分な点があったとしても、じん肺につき相当の学識経験を有している地方じん肺診査医においても直接これを見て診断又は審査を行う(じん肺法一二条、一三条二項)のであるし、画像不良のために支障を来す場合には、都道府県労働基準局長は、地方じん肺診査医の意見により、事業者に対して再度の撮影を命じることもできる(同法一三条三項)のであるから、撮影機器の性能や撮影条件、エックス線技師の技術的熟練度の違いが最終的な読影の結果に及ぼす影響はさほど大きくないというべきである。なお、<証拠略>によれば、エックス線写真の像の型の区分の判断の基礎の一つとなる粒状影は、0/−から3/+までの一二段階に分類されるところ、第一型と第二型ひいては管理一と管理二とを分ける0/1(じん肺の陰影は認められるが、第一型と判定するに至らないもの)と1/0(第一型と判定するが、標準エックス線フィルムの第一型(1/1)に至っているとは認められないもの)との差異が微妙であり、地方じん肺診査医によっても判断が異なることがあることが認められるが、かかる事情をもって、地方じん肺診査医の判断が一般的に信頼するに足りないものということはできない。
次に、肺機能検査の問題のうち、データを読みとる医師の能力については、仮に問題があったとしても、結果証明書により地方じん肺診査医が診断又は審査を行う(同法一三条二項)のであるから、その段階で誤りは是正され得るし、スパイロメトリー及びフローボリューム曲線による検査についても、<証拠略>によれば、前者についてはともかく、後者についてはもともと被検者が恣意を入れる余地は小さく、前者についても、被検者が恣意を入れればデータが不自然な曲線を描くことなどから、通常であれば恣意を入れたかどうかは判別がつくものと認められる。また、第二の一4(一)において認定したとおり、合併症にかかっているかどうかの診断は、肺機能検査に先行して行われ、合併症にかかっていると診断された場合には建前上肺機能検査は行われないことになっており、合併症の影響で肺機能が低下した場合に、じん肺による著しい肺機能の障害があると判断され、その結果をもとに管理四の決定がなされることは、合併症にかかっていることを見落とした場合でない限りあり得ない。さらに、肺機能検査の結果が直接管理区分の決定に影響を与えるのは、管理四(ただし、エックス線写真像が第一型、第二型、第三型又は第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る。)で、じん肺による著しい肺機能の障害があると認められることを要件とするものに限る。)に該当するか否かを決定する場合に限られるところ、本件では、元従業員原告らのうち、管理四の決定を受けている原告黒木巖、同藤井誠、同岩﨑英也及び亡荒巻茂文(<証拠略>)は、Vドット二五の低下又はその他の唯一の指標からじん肺による著しい肺機能の障害があると判断されたわけではなく、いずれも肺機能検査の結果得られたすべてのデータを総合的に検討した上で、右判断がなされている(<証拠略>)のであって、右判断は信用できる。
もっとも、<証拠略>によれば、喫煙者は肺気腫、慢性喘息、慢性気管支炎といった慢性閉塞性肺疾患にかかりやすく、非喫煙者に比べ肺機能が低下することが認められるところ、肺機能検査においては、かかる点が考慮されていないため、実際には喫煙が主因となって著しい肺機能の障害を来した場合であっても、じん肺による著しい肺機能の障害があると判断されることのあることが推測される。しかしながら、そのような場合であっても、エックス線写真上じん肺の所見がある以上、著しい肺機能の障害がもっぱら喫煙によってのみもたらされたとは考えがたく、ある程度はじん肺自体も影響を及ぼしていると考えられるのであって、じん肺自体と著しい肺機能の障害との間には因果関係があるものといい得る。そして、今日までのわが国において喫煙はごく通常行われる行為であることに鑑みれば、たとえ実際には喫煙が主因となって著しい肺機能の障害を来したために管理四の認定を受けたという場合であっても、これを誤った認定としてじん肺による損害として考慮しないということは妥当でなく、せいぜい喫煙を過失相殺を認めるべき一つの事情として考慮するにとどめるのが相当である。
(3) したがって、元従業員原告らの具体的な病状が、各人が受けている管理区分の決定に相当するものよりも、継続的に軽いか又は重い状態にあることを証する事実が認められない限り、元従業員原告らは、その属する管理区分に相当する同等の健康被害を受けているというべきである(ただし、合併症に罹患した場合にはこれにより入院治療等を余儀なくされ、合併症に罹患していない場合よりも、種々の制約を受けるのであるから、健康被害の程度もより大きいというべきである。なお、(2)において認定したとおり、喫煙者は慢性閉塞性肺疾患にかかりやすいことからすれば、法定合併症のうちある種のものについては、喫煙が主因となって生じたのに、じん肺の合併症と認定されることのあることが推測されるが、この点は、著しい肺機能の障害の有無の判断に関して(2)において述べたのと同様、エックス線写真上じん肺の所見がある以上、もっぱら喫煙によってのみ法定合併症がもたらされたとは考え難く、ある程度はじん肺自体も影響を及ぼしていると考えられるのであるから、右のような事情があることをもって、合併症の認定を信用できないものとして、じん肺による損害として考慮しないということは妥当できない。)。
この点元従業員原告らの具体的な病状は、(三)において認定するとおりであり、いずれもじん肺の影響により生じたものと認められる症状が各人が受けている管理区分の決定に相当するものよりも継続的に軽いか又は重い状態にあるとは認められない。
(三) 元従業員原告らの具体的な病状については、証拠により、次の事実が認められる。(なお、管理区分の決定については、第二の一4(二)において認定済みであり、同事実の認定に係る証拠は右項目を参照。)
(1) 亡荒瀬一(昭和三年一〇月四日生)は、昭和三〇年ころからひどく苦しそうに息をするようになり、昭和五〇年ころからは痰を吐くことが多くなり、次第にやせた。平成二ないし三年ころから夜寝るときや朝起きたときの咳がひどく、血が混じった痰が出るようになった。平成四年一月に管理三ロの決定を受け、その後、肺がんの診断を受けて入院し、同年七月二七日、死亡した。(<証拠略>)
なお、亡荒瀬一の直接の死因は必ずしも明らかではないが、同人の妻荒瀬イクエは、じん肺と肺がんであったと供述しており(<証拠略>)、右供述は、右荒瀬一の入院先の医師の診断をもとにしているものと考えられることからすれば、亡荒瀬一の死亡にはじん肺が大きく影響したものと認められる。
(2) 原告岩永健(昭和七年一月二四日生)は、昭和六三年ころから朝晩に咳が出るようになり、現在は朝晩以外でも咳が出て、薬を飲み続けている。寝るときも横向きにならないと息苦しくなり、また、睡眠中咳のために目を覚ますこともある。咳が出始めると二ないし三分間続き、とても息苦しくなるほか、体をまげて咳き込むので背中まで痛みを感じる。昭和六三年八月に管理二の決定を受け、その後風邪をひきやすくなったほか、すぐ息苦しくなるので急ぎ足や駆け足は控えている。(<証拠略>)
(3) 原告岩永實(昭和一三年六月二六日生)は、平成七年ころ風邪をひきやすくなり、同年二月には管理二の決定を受けた。一旦風邪をひくと治りにくくなったほか、痰がよく出るようになり、体がだるくてきつく感じられるようにもなった。平成八年七月ころ入院し、一旦退院後、平成九年五月に再度入院して以来、現在も療養中であるが、体を動かすことも話をすることもできない状態にある。(<証拠略>)
もっとも、右入院は、クロイツフェルト・ヤコブ病と見られる疾患のためであって(<証拠略>)、右症状のうち、体を動かすことや話をすることができないことは、同疾患の影響と考えられる。
(4) 原告亀田健(昭和一二年一月一三日生)は、昭和四二ないし四三年ころから風邪をひきやすく、また、一旦風邪をひくと治りにくくなった。現在は、風邪をひくと関節が痛んだり、胸が苦しくなったり、疲労感が出たりし、風邪をひいていないときでも咳や痰が毎日出て、毎朝起きると大量の痰が出て咳が続くほか、風邪気味のときも咳や痰がひどくなる。外出すると階段や坂道で息切れがする。なお、平成八年六月には管理四の決定を受けた。(<証拠略>)
(5) 原告黒木巖(昭和四年八月一五日生)は、平成二年ないし三年ころから息が苦しく、咳が出るようになり、現在通院やである。風邪をひきやすく、また、一旦風邪をひくと治りにくくなった。歩くと息切れがするのでなるべく外出を控えている。夜、特に明け方に咳がひどくなり、始まると止らなくなって痰がつまり、呼吸困難になる。また、就寝中仰向けになっていると胸が苦しくなって目が覚めることがあるほか、冬に厚着をしたり、夏にクーラーの風にあたったり、酒を飲んだりしても息苦しくなる。平成七年一〇月には管理四の決定を受け、最近では食欲も衰え、家事の手伝いすら困難な状態にある。平成七年一〇月、管理四の決定を受けた。(<証拠略>)
なお、同原告は、昭和四六年に、伊王島鉱業所内において、炭車と鉄柱の間に挟まれ、肋骨を十数本折る事故に遭い、その後約三年間入院した(<証拠略>)が、右事故は二五年以上も前のことであって、右症状にこの事故の影響が及んでいるとは認められない。
(6) 亡小瀬良喜代喜(昭和六年八月二五日生)は、昭和五七年ころから息が苦しく、咳や痰が出て、咳をすると胸が痛くなるようになった。本件訴訟提起後は、咳をする度に痰が出るほか、夜中息が苦しくなって目が覚めることがあり、そのときは立つこともできず、ただじっと座って息が戻るのを待たなくてはならなくなった。また、息切れがするため長い時間歩き続けることはできず、坂や階段を昇ることにも非常な苦痛を伴うほか、日常の動作で急に体を動かしたり、服を着替えるために腕を高く上げたり長時間上げたままにしておく程度のことでも息が切れて苦しくなった。湯気がこもると息苦しくなるので、熱い風呂に入ることや長時間の入浴もできなかった。うつ伏せでは寝ることもできず、仰向けになったり横向きになったり頻繁に姿勢を変えて寝ていた。平成八年四月に管理三ロの決定を受け、その後、平成九年一〇月一日に行われた本件訴訟の原告本人尋問の際には、一五分間程度供述しただけで息が苦しくなった。さらに、平成九年一一月二八日には、続発性気管支喘息、続発性肺性心、続発性心不全の診断も受け、同年一二月二日、死亡した。(<証拠略>)
なお、同人の直接の死因は明らかではないが、右症状の重篤さから考えて、じん肺及びその合併症である続発性気管支炎が大きく影響したものと認められる。
(7) 原告新立義光(大正一〇年三月一三日生)は、平成七年半ばころから疲れがひどく、息苦しくなり、現在は、外出の際には五〇メートルほど歩くごとに立ち止まって息を整えなければならず、趣味の釣りにも行けなくなった。また、夜中や明け方に咳き込み、熟睡することができない。息苦しさのため、布団は軽いものでなければならないし、風呂もぬるい湯にみぞおちの辺りまでつかることしかできず、長時間入っていることもできない。平成八年二月には管理三ロの決定を受けた。(<証拠略>)
(8) 亡竹田吉満(大正一五年二月一日生)は、遅くとも昭和四五年ころから、黒い痰が出るようになり、また、食後タバコを吸うとひどく咳をするようになった。昭和六三年九月には管理三イの決定を受け、そのころには胸が圧迫されるような苦しさを覚えて、階段の昇り降りがきつくなり、さらにその後、風呂に入っても息苦しくなるため、入浴の回数も減り、入浴後は一五分ほど裸のまま座って息を整えたり、咳止めの薬を飲んだりするようになった。平成三年ころからは、入浴しても息苦しさから自分で体を洗うことすらできなくなった。その後平成五年ころには、医師から酸素吸入を進められるようになるとともに、食欲がなくなり、平成五年九月二日死亡した。(<証拠略>)
なお、同人は、平成三年ころから足に浮腫が生じていた(<証拠略>)ところ、かかる症状はじん肺又は合併症に直接起因するものとは考え難い。そして、浮腫性疾患として最も多いのは心疾患であり、その場合には身体の下部に初発することが多く、動悸や息切れなどの症状も見られることがある(<証拠略>)ことから、同人は心疾患にかかっており、その死亡も心疾患が原因となっているのではないかとの疑問が生じるところではあるが、必ずしも同人が心疾患にかかっていたものとは断定することはできないし、仮に心疾患にかかっていたとしても、2(一)(2)において認定したとおり、ある種の心疾患自体じん肺から生じ得ることからすると、心疾患による死亡であってもじん肺の影響があった可能性は否定できず、むしろ、医師から酸素吸入を勧められるほどになったのは、まさにじん肺による影響が大きかったものと推認するのが相当で、そのような状態に至った末の死亡であって、じん肺が大きく影響したものと認められる。
(9) 原告中ノ瀬一夫(大正一一年一〇月六日生)は、平成五年ころから息切れがするようになり、階段や坂道を登るのがきつくなった上、咳が出て、駆け足もできなくなった。さらに、現在は、朝から痰が出ることもあり、入浴時間を短くし、夏でも冷房になるべくかからないようにするなど健康管理に注意しているほか、通院もしている。なお、平成一〇年四月には管理二の決定を受けた。(<証拠略>)
(10) 原告藤井誠(大正一二年八月四日生)は、昭和五〇年ころから風邪をひいたような感じが続くことが生じるようになり、加えて息苦しさを感じ、わずかな距離を歩くことも苦痛になった。その後、平成四年一一月には風邪をこじらせて肺炎になり、入院した。その際、医師から肺の働きが弱くなっていて、十分酸素を摂り入れられないと言われ、以来、酸素吸入が必要になった。このときの入院を含め、一〇回の入退院を繰り返し、その間、巨大気腫性肺のう胞の診断を受け、平成五年二月には管理四の決定を受けた。現在、自宅にいるときには大型の酸素吸入器にビニールパイプをつないで生活しており、外出するときも酸素ボンベを手放せない。しかも、酸素吸入をしていても、少し動けば息苦しくなり、家の中を歩き回るだけでも息が切れ、坂や階段を登ることはできない。寒い時期には毎日、暖かい時期でも数日に一回は突然呼吸ができなくなる発作が生じ、夜中に目を覚ますこともしばしばある。(<証拠略>)
(11) 原告吉井利光(昭和九年五月二〇日生)は、平成二年ころから、それまで毎日していたジョギングが息苦しくてできず、胸に圧迫感を感じるようになったほか、よく風邪をひいて一旦ひくと治りにくくなり、年に一度は肺炎にかかるようにもなった。また、明け方になると咳が激しく出て、痰も多く出るようになった。咳は、風呂に入って体が温まると止まらなくなった。現在は、坂や階段を昇ったり、大した距離でなくても早足で歩くと、息が切れて苦しくなるほか、重い物を持ったり運んだりすることができない。なお、平成七年二月には管理二の決定を受けた。(<証拠略>)
(12) 原告岩﨑英也(昭和五年一一月一二日生)は、昭和六二年七月、異形狭心症と診断されたが、それまでにも、風邪でもないのにむやみに咳き込んだり、痰が出ることもあった。昭和六二年九月ころには、医師から、じん肺の症状もあると言われた。医師から在宅酸素療法をするように指示されており、平成八年五月ころから、自宅にいるときも外出するときも酸素器具をつけている。酸素器具をつけているときは呼吸が楽になるが、これを外すと息苦しくなる。同年八年末には医師から仕事をするのは無理と言われ、それ以来、自宅にいるかせいぜい家の周りを散歩するといった生活を送っており、通院もしている。なお、平成九年四月には管理四の決定を受けた。(<証拠略>)
(13) 原告竹本幸定(大正一五年四月二〇日生)は、昭和四七年ころから疲れやすくなり、疲が出て眠れないことも生じるようになった。昭和五五年に腰椎骨折のためエックス線撮影をしたところ、医師から「肺に影がある。」と言われた。昭和六二年ころ、風邪をひきやすくなり、肺炎にもなった。現在は気管支炎がひどく、息苦しい状態が続き熟睡できない。また、長時間話し続けると声が出なくなるほか、走ったり早足で歩くことはもちろんのこと、散歩することでさえ息が苦しくなるため頻繁に休憩しながらでないとできず、特に階段や坂を登るときには苦痛を感じる。和式便所で排便することは、かがんだ姿勢を取り続けることが苦痛なためできず、また、長く立っていることもできない。ひっきりなしに咳が出て声がかすれ、痰が切れない状態が続き苦しくなり、喉が痛くなるような発作が生じることもあるほか、普段から胸に圧迫感があり、布団は軽いものでないと苦しくて眠れず、風呂は胸までつかることは苦しくて長時間入っていることもできない。風邪をひきやすく、毎冬何回かは三八ないし三九度の熱が出て肺炎になる。夏でもクーラーや扇風機の風にあたると風邪をひくため、これらの冷房器具は使えない。なお、平成八年七月には管理二の決定を受けた。(<証拠略>)
もっとも同原告は、昭和六〇年ころから糖尿病も患っており、昭和六二年ころには目が不自由になったほどである(<証拠略>)ところ、同病によっても疲れやすくなるといった症状が見られる(<証拠略>)のであって、同原告の症状には、同病の影響もある程度及んでいると考えられる。
(14) 原告松山年治(昭和八年一月一日生)は、昭和三二年ころ肺結核にかかって約一年間入院したため、それ以来日ごろから無理をしないように注意して生活してきたが、平成二年ころ当時の勤務先で行われたオリエンテーリングに参加したところ、急に息が苦しくなり、歩くのをやめて車で送ってもらうということがあり、それ以降ますます日常生活において無理をしないように心がけてきた。平成六年ころからは、穏やかな坂を登ることも非常に苦しくなり、ゆっくりとしか歩けず、疲れやすくなった。平成九年一月には管理二の決定を受けた。(<証拠略>)
(15) 亡荒巻茂文(大正一〇年七月二九日生)は、昭和五四年ころ、坂道を歩くと息が苦しくなり、また、背中が痛くなるようになった。また、同五五年ころからは痰が出るようになり、明け方になると痰を切るために激しい咳をした。同六一年ころには仕事もできないようになり、当時勤務していた会社も辞め、通院するようになった。その後は、急に体が弱って散歩するときも手を引いてもらってゆっくりとした歩くことができず、深夜や明け方に激しく咳き込むようになり、服を着替えたり便所に行くことでさえ息が苦しくなり、好きな焼酎も飲まなくなった。平成元年ころになると、歩くのが辛いため病院へ行くのもいやがるようになり、階段を昇るときは三ないし四段毎に休まなくてはならなくなった。平成二年二月には管理四の決定を受け、その後は風呂や便所に行くこともひとりではできなくなり、また、風呂は熱い湯にはつかれず、立って小便をするのも他人に支えてもらわないとできなくなった。風邪をひきやすく、一旦ひくと治りにくくなり、扇風機やクーラー、石油ストーブをつけると息が苦しくなった。以前は九〇キログラムを超えていた体重も六〇キログラム程度にまで落ち込んだ。平成四年ころからは、食べると胸が苦しくなるため、牛乳とパンしか食べず、平成五年ころからは昼食をとらなくなり、また、平成六年ころからは、痰を切ろうとしても切れず、発作が頻繁に起こるようにもなった。そして平成七年五月一七日に死亡した。(<証拠略>)
なお、同人についても、直接の死因は明らかでないが、右症状の重篤さから考えて、じん肺が大きく影響したものと考えられる。
(四) このように、元従業員原告らのうちじん肺により死亡した者の悲惨さ、管理四の重症度のじん肺に罹患した者や合併症に罹患した者らの被害の深刻さは言うに及ばす、そこに至らない者についても、その症状の程度に軽重はあるものの、咳、痰、呼吸困難等の症状のために、外出することが容易ではなくなり、そのため、社会的な活動等を行うことが阻害され、日常生活においても、風邪等に罹患しないよう常に細心の注意を払うことを余儀なくされ、入浴も制限されるなど日常生活上種々の制約を受けている。また、これらの制約からすれば、旅行に出たり趣味を持ったりすることも困難であるため、精神的に豊かな生活を送ることができず、多大の苦痛を被ったばかりか、自己の罹患した疾病が進行性であり、治療することがないことからくる将来への不安も大きいものと推認される。さらに、元従業員原告らのじん肺症が、家族に多大の肉体的・精神的負担を強いることからくる精神的苦痛も大きいというべきである。
なお、<証拠略>によれば、従来じん肺患者の死亡原因の多くを占めていた結核の治療が進歩したことなどから、じん肺患者であっても若年のうちに死亡することは減って、高齢まで生きられるようになり、また、高齢者や管理四を含む治療中のじん肺罹患者であっても、就労していたり、日常生活にそれほど支障がない者も相当数いる事実が認められるが、右各証拠によっても、じん肺罹患者が非罹患者とまったく同等の生活を送ることができるとは認められない上、元従業員原告らの症状は(三)において認定したとおりであって、元従業員原告らが同齢の非罹患者と同等の生活を送っているとはいえない。
(五) また、管理二及び同三の決定は、じん肺法上、じん肺による著しい肺機能の障害がない者に対してなされるものであり(四条二項)、合併症にかかっていると認められる場合でない限り、法律上は療養を必要とされているわけでもない(二三条対照)。しかしながら、これら合併症のない単純管理二又は同三の区分に止まる者についても、エックス線写真上じん肺所見があり、そのことは肺の線維増殖性変化の進行又は気道の慢性炎症性変化、気腫性変化を窺わせる。また、じん肺の病像とりわけその進行性の特質に鑑みると、現在は管理二又は同三の区分に止まっていても、なお将来管理区分が上昇し、又は、合併症を併発する可能性も高い。そうすると、合併症のない単純管理二又は同三の区分に止まる者についても、相当の慰謝料額を算定するのが相当である。
(六) ところで、本件訴訟において、被告は、原告岩永健、同岩永實、同亀田健、同中ノ瀨一夫、同吉井利光及び同松山年治の喫煙習慣の有無や既往歴、合併症以外の疾病の有無等の情報をも得た上で右原告らのじん肺の症状を精査する必要があるとして、右原告らの管理区分決定申請時に行われたじん肺健康診断に関する記録(カルテ、胸部エックス線フィルム等)の送付嘱託の申請を行い、当裁判所はこれを採用したが、これら記録の保管者から、当該原告らの同意がない限り右記録を送付することはできない旨の回答があり、これを受けて、被告は右原告らに対し右記録送付への同意を求めたが、右原告らはこれを拒否した事実は、当裁判所に顕著な事実として認められる。しかしながら、被告があくまでも右記録を必要とするのであれば、別途、文書の提出命令を申し立てれば足りる(送付嘱託の場と異なり、文書提出命令に従わない場合には、民事訴訟法二二五条一項により、過料に処せられることもあるのであるから、送付嘱託に従わない場合であっても、文書提出命令に従うことは十分あり得る。)のであるから、右事実をもって、民事訴訟法二二四条三項を類推し、被告の主張を真実と認めることはできない。
4 なお、<証拠略>によれば、本件給付金受給者らは、以下のとおり、公的給付金を受給し又は過去において受給しており(ただし、亡小瀬良喜代喜及び原告新立義光を除き、いかなる性質の公的給付金であるかは明らかでない。)、このうち亡小瀬良喜代喜及び同荒巻茂文を除く五名については、今後も相当額の公的給付金を受給することになることが認められる。
(一) 原告黒木巖
月額二〇万円強
(二) 亡小瀬良喜代喜
労働者災害補償保険療養・休業補償給付等 月額二八万〇九八〇円
老齢(厚生・基礎)年金 月額三四万四九六六円
(三) 原告新立義光
障害厚生年金 月額約二五万円
(平成九年一〇月まで。以後は、労災年金が給付される予定であるが、その額は明らかでない。)
(四) 原告藤井誠
月額約三〇万円
(五) 原告岩﨑英也
月額約一八万円
(六) 原告竹本幸定
月額一〇万円強
(七) 亡荒巻茂文
月額約一三万円
そして、本件給付金受給者らによる以上のような労災保険給付を含む各種の公的給付金の過去又は将来の受給の事実を慰謝料額算定の一事情として考慮することは許されるとしても、原告らの本訴請求は、生命、身体、人格、財産等一切に生じた損害に起因する精神的損害に対する慰謝料を請求するものであって、具体的な財産的損害の賠償をも請求しているものとは解されない上、以上のような公的給付も、各人のじん肺症の経過及び程度に応じた財産的損害を補填しているものと推認されるので、右公的給付金受給の事実を過大に評価することは相当ではない。
5 以上検討した諸般の事情、とりわけ元従業員原告らの労働能力の喪失又は低下を含む健康被害の程度、じん肺の特質、被告等の安全配慮義務不履行の態様、本訴提起の態様及び意向(本訴請求は慰謝料を対象とするものであるが、財産的賠償は別途請求するというものではなく、むしろ原告らはいかなる形態にしろ別訴を提起する意思のないことを訴訟上明確に宣明し、原告ら自身これに拘束されていること)等を総合考慮すると、原告元従業員の慰謝料額は、じん肺に罹患したことが原因となって死亡した亡荒瀬一、亡小瀬良喜代喜、亡竹田吉満及び亡荒巻茂文については各二二〇〇万円、管理四該当者である原告黒木巖、同藤井誠及び岩﨑英也については各二二〇〇万円、管理三ロ該当者で合併症のある原告新立義光については一九〇〇万円、管理二該当者で合併症のある原告中ノ瀨一夫及び同竹本幸定については各一三〇〇万円、管理二該当者で合併症のない原告岩永健、同岩永實、同亀田健、同吉井利光、同松山年治については各一〇〇〇万円とするのが相当である。
6 なお、弁護士費用については後述する。
六 争点6(他の粉じん職歴を有することによる責任の限度)について
1 <証拠略>によれば、本件他粉じん職歴保有者らは、本件鉱業所における就労のほか、別紙七元従業員原告ら他粉じん職歴一覧表の「他粉じん職歴(昭和)」欄記載の被告等と無関係の各粉じん職歴を有していることが認められる。
2 ところで、一般に、労働者が順次複数の使用者に雇用されて就労した場合には、各使用者は、それぞれ別個の安全配慮義務を負っているところ、右使用者のうちの複数の者の安全配慮義務不履行により労働者が損害を被った場合において、当該労働者が取得するのは、各使用者に対する別々の債権であって全使用者に対する一個の債権ではない。したがって、安全配慮義務の不履行により各使用者が負担する損害賠償債務が全体として一個の債務であることを前提として、民法四二七条の適用を考える余地はない。
3 また、民法七一九条一項後段は、「共同行為中ノ敦レカ其損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ」にも、共同行為者は各自連帯してその賠償の責に任ずる旨規定しているが、この規定は、甲、乙等特定の複数の行為者(以下、甲、乙の二者で表示する。)につきそれぞれ因果関係以外の不法行為の要件が具備されている場合において、被害者に生じた損害が甲、乙いずれかの行為によって発生したことは明らかであるが、甲、乙の各行為が原因として競合していると考えられるため、現実に発生した損害の一部又は全部がそのいずれによってもたらされたかを特定することができないとき(以下、右のような特定複数の行為者又は行為の関係を「択一的損害惹起の関係」という。)には、甲、乙の各行為がそれだけで損害をもたらし得るような危険性を有し、現実に発生した損害の原因となった可能性があることを要件として、発生した損害と甲、乙の各行為との因果関係の存在を推定し、甲又は乙の側で自己の行為と発生した損害との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証しない限り、その責任の一部又は全部を免れることができないことを規定したものと解するのが相当である。
したがって、甲又は乙としては、自己の行為が右のような危険性を有し、損害の原因となった可能性がある限り、乙又は甲の違法行為の存在を主張、立証しただけではその責任を免れることはできず、責任を免れるためには更に自己の行為と損害との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証することを要するものというべきである。
そして、いずれも債権者の生命又は身体を保護することを目的とする債務を負う複数の債務者の債務不履行が、因果関係以外の点で債務不履行に基づく損害賠償責任の要件を充足する場合において、択一的損害惹起の関係があるときには、債権者を救済する必要性のあることは前示の不法行為の場合と異ならないから、債務不履行に基づく損害賠償責任についても、民法七一九条一項後段の規定を類推適用するのが相当である。したがって、時を異にし、複数の粉じん作業使用者の下において、粉じん吸入のおそれのある複数の職場で労働に従事した結果じん肺に罹患した労働者が、右複数の使用者の一部又は全部に対して、その雇用契約に基づく安全配慮義務違反を理由に損害賠償を求める場合には、右複数の職場のうちいずれの職場における粉じん吸入によっても、現に罹患したじん肺になり得ることが認められる限り、同項後段を類推適用し、労働者のじん肺罹患と右複数の使用者の右各義務違反の債務不履行との間の因果関係が推定されるものというべきであり、じん肺に罹患した労働者としては、そのじん肺罹患と一部の使用者の同債務不履行のみとの間の因果関係を立証することができなくても、複数の使用者の各債務不履行が現に罹患したじん肺をもたらし得るような危険性を有し、右じん肺の原因となった可能性があることを主張、立証することができれば、各使用者らの債務不履行との間の因果関係が推定されるものというべく、使用者において、自らの債務不履行と労働者のじん肺罹患との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証することができない限り、使用者はその責任の一部又は全部を免れることができないというべきである(最高裁判所平成四年(オ)第一八七九号同六年三月二二日第三小法廷判決、東京高等裁判所平成二年(ネ)第一一一三号・第一二九九号同四年七月一七日判決、東京地方裁判所昭和五八年(ワ)同第四八八九号平成二年三月二七日判決参照)。
4 そこで、本件をみるに、まず、四6において設定したとおり、被告等の債務不履行と本件他粉じん職歴保有者らのじん肺罹患との間には因果関係が認められる(即ち、被告等の債務不履行は、元従業員原告らが現に罹患しているじん肺をもたらし得る危険性を有するものであることが認められる。)。そして、本件他粉じん職歴保有者らが有する被告等とは無関係の他の使用者のもとでの粉じん職歴が、当該粉じん職歴の内容やその就労期間の長さ、当該使用者の安全配慮義務違反の態様等からして、元従業員原告らが現に罹患しているじん肺をもたらし得る危険性を有するものと認められる場合であっても、被告が本件他粉じん職歴保有者らのじん肺罹患による損害を賠償する責任の一部又は全部を免れるためには、被告において、被告等の債務不履行と右九名のじん肺罹患との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証することを要することになる。
しかしながら、この点、本件他粉じん職歴保有者らのいずれについても、右立証があるとはいえない(被告が右因果関係の全部を否定すべきと主張する原告黒木巖及び同藤井誠についてみても、右両原告とそれほど違わない期間被告のもとで就労したに止まる原告岩﨑英也(同人も被告等と無関係の粉じん職歴を有するが、その期間はわずかである。)が管理四の認定を受けていることからして、全部についてはもちろんのこと、一部についても因果関係がないとの立証があるとはいえない。)。
七 争点7(消滅時効及び除斥期間等)について
1 雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は、民法一六七条一項により一〇年と解され(最高裁判所昭和四八年(オ)第三八三号同五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁参照)、また、雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、じん肺法所定の管理区分について最終の行政上の決定を受けたときから進行するものと解される(最高裁判所平成元年(オ)第一六六七号同六年二月二二日第三小法廷判決・民集四八巻二号四四一頁参照)。
そうすると、元従業員原告らのうち、最も早く管理区分について最終の行政上の決定を受けた原告岩永健についてすら、昭和六三年八月二九日の右決定から本訴提起まで一〇年を経過しておらず、したがって、いずれの原告についても消滅時効は完成していない。
2 また、雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求である本件において
は、民法七二四後段の除斥期間の規定の適用の余地はない。
八 争点8(過失相殺)について
1 使用者が雇用契約の付随的義務としての安全配慮義務を負っている場合でも、労働者は、自己の安全を守るための基本的な注意義務を免れるものではないから、使用者の安全配慮義務不履行により生じた損害に関し、労働者にも過失があると認められる場合には、損害賠償額の算定において、これを斟酌すべきことは、一般論としては正当ということができる。
2 そして、<証拠略>によれば、原告松山年治(四2(三)(1)において認定したとおり、同人については、そもそも被告等から防じんマスクを支給されていない。)を除く本件マスク不着用者らは、本件鉱業所における作業の際、被告等から支給された防じんマスクを着用しなかったことがあること、本件喫煙者らには、現在又は過去において喫煙の習慣があり又はあったこと、中でも少なくとも原告亀田健及び亡小瀬良喜代喜は、管理区分の決定を受けた後も喫煙を続けたことが認められる。
3(一) しかしながら、まず、防じんマスクの不着用の点については、四2(三)において認定したとおり、被告等は作業夫に対してじん肺の病理等に関する教育や防じんマスクの着用目的に関する教示を十分にしておらず、このため本件マスク不着用者らは、防じんマスク着用の必要性を十分認識することができなかったのである。したがって、防じんマスクの不着用の事実をもって直ちに本件マスク不着用らに過失があるということはできない。
(二) また、喫煙者については、五3(二)(2)において認定したとおり、喫煙者は慢性閉塞性肺疾患にかかりやすく、非喫煙者に比べ肺機能が低下する上、<証拠略>によれば、タバコの煙を吸うと、気管支粘膜の分泌が増加し、線毛運動が低下することが認められ、そのことからすれば長年にわたって喫煙することは肺細胞内への粉じん吸入を左右する因子のひとつとなり得るものとも考えられる。しかし、このような指摘がなされるに至ったのは比較的近年になってからのことであって、本件喫煙者らが本件鉱業所で就労当時において右のような喫煙の影響を認識することは困難であったと推認される上、仮に、右当時からその認識が可能であったとしても、四4において認定したように、被告等は作業夫に対してじん肺の病理等に関する教育を十分に行っていなかったのであるから、被告は、本件喫煙者らに対し、じん肺に与える喫煙の悪影響を認識することを求めることはできないというべきである。
もっとも、管理区分の決定を受けた後も習慣的に喫煙を続けた原告亀田健及び亡小瀬良喜代喜は、じん肺に与える喫煙の悪影響を認識しえたともいい得るが、喫煙により右両名のじん肺罹患が促進されたと認めるに足りる証拠はなく、右悪影響を認識しながら喫煙を続けたことをもって、直ちに右両名に過失があるということはできない。
九 弁護士費用について
原告らがその訴訟代理人に本件訴訟の遂行を委任したことは、当裁判所に顕著な事実として認められるところ、本件訴訟の難易度、審理の経過及び認容額等諸般の事情を考慮すると、原告らがその訴訟代理人らに支払うべき弁護士費用のうち、先に認容した慰謝料額の一割に相当する金額が被告等の債務不履行と相当因果関係にある損害であると認めるのが相当である。
一〇 結論
以上のとおりであって、原告らの本件各請求は、別紙二原告別認容金額一覧表の「認容金額(円)合計」欄記載の各金員及びこれに対する同表「遅延損害金起算日(平成)」欄記載の各日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(なお、原告亀田健は、本件訴訟提起に先立ち、被告に対して損害賠償を求める旨の意思表示をし、同意思表示は平成八年一月一九日に被告のもとに到着したとして、その翌日である同月二〇日が遅延損害金の起算日になる旨の主張をしているが、同原告が被告に対しそのような意思表示をしたことを認めるに足りる証拠はなく、同原告に係る遅延損害金の起算日は、本件訴状が被告のもとに送達された日の翌日である平成九年一月一四日と認めるのが相当である。)からこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却する。
なお、仮執行宣言については、甲イ二七四により、本件同様被告が経営する炭鉱で就労してじん肺に罹患した元従業員らが被告に対して損害賠償を求めた別件訴訟において、上告審まで争われた結果、被告に安全配慮義務不履行による賠償責任がある旨の判決がなされてこれが確定し、そこで認められた慰謝料額は本件訴訟とほぼ同様の水準であることが認められること、また、じん肺罹患者に対しては早期救済の必要性が大きいことなどの観点から、弁護士費用を含む認容金額の全額(遅延損害金も含む。)について付すのを相当と認めた。
(裁判長裁判官有満俊昭 裁判官西田隆裕 裁判官村瀬賢裕)
別紙一当事者目録<省略>
別紙二
原告別認容金額一覧表
原告番号
原告氏名
認容金額 (円)
遅延損害金起算日
(平成)
慰謝料
弁護士費用
合計
一 ― 一 ― 一
荒瀬 イクエ
一一〇〇万
一一〇万
一二一〇万
八年一月二〇日
一 ― 一 ― 二
荒瀬 清
二二〇万
二二万
二四二万
八年一月二〇日
一 ― 二
岩永 健
一〇〇〇万
一〇〇万
一一〇〇万
八年一月二〇日
一 ― 三
岩永 實
一〇〇〇万
一〇〇万
一一〇〇万
八年一月二〇日
一 ― 四
亀田 健
一〇〇〇万
一〇〇万
一一〇〇万
九年一月一四日
一 ― 五
黒木 巖
二二〇〇万
二二〇万
二四二〇万
八年一月二〇日
一 ― 六―一
小瀬良 ハセ
一一〇〇万
一一〇万
一二一〇万
九年一月一四日
一 ― 六 ― 二
小瀬良美喜雄
五五〇万
五五万
六〇五万
九年一月一四日
一 ― 六 ― 三
松岡 かやの
五五〇万
五五万
六〇五万
九年一月一四日
一 ― 七
新立 義光
一九〇〇万
一九〇万
二〇九〇万
九年一月一四日
一 ― 八 ― 一
竹田 英夫
七三三万三三三三
七三万三三三三
八〇六万六六六六
九年一月一四日
一 ― 八 ― 二
竹田 義則
七三三万三三三三
七三万三三三三
八〇六万六六六六
九年一月一四日
一 ― 八 ― 三
竹田 惠三
七三三万三三三三
七三万三三三三
八〇六万六六六六
九年一月一四日
一 ― 九
中ノ瀨 一夫
一三〇〇万
一三〇万
一四三〇万
八年一月二〇日
一 ― 一〇
藤井 誠
二二〇〇万
二二〇万
二四二〇万
八年一月二〇日
一 ― 一一
吉井 利光
一〇〇〇万
一〇〇万
一一〇〇万
八年一月二〇日
二 ― 一
岩﨑 英夫
二二〇〇万
二二〇万
二四二〇万
九年六月 七日
二 ― 二
竹本 幸定
一三〇〇万
一三〇万
一四三〇万
九年六月 七日
二 ― 三
松山 年治
一〇〇〇万
一〇〇万
一一〇〇万
九年六月 七日
三 ― 一
木下 妙子
五五〇万
五五万
六〇五万
九年八月一四日
三 ― 二
荒巻 邦弘
五五〇万
五五万
六〇五万
九年八月一四日
三 ― 三
楠田 きみ子
五五〇万
五五万
六〇五万
九年八月一四日
三 ― 四
荒巻 利美
五五〇万
五五万
六〇五万
九年八月一四日
別紙三
原告別請求金額一覧表
原告番号
原告氏名
請求金額
(円)
遅延損害金起算日
(平成)
一 ― 一 ― 一
荒瀬 イクエ
一六五〇万
八年一月二〇日
一 ― 一 ― 二
荒瀬 清
三三〇万
八年一月二〇日
一 ― 二
岩永 健
三三〇〇万
八年一月二〇日
一 ― 三
岩永 實
三三〇〇万
八年一月二〇日
一 ― 四
亀田 健
三三〇〇万
八年一月二〇日
一 ― 五
黒木 巖
三三〇〇万
八年一月二〇日
一 ― 六 ― 一
小瀬良 ハセ
一六五〇万
九年一月一四日
一 ― 六 ― 二
小瀬良美喜雄
八二五万
九年一月一四日
一 ― 六 ― 三
松岡 かやの
八二五万
九年一月一四日
一 ― 七
新立 義光
三三〇〇万
九年一月一四日
一 ― 八 ― 一
竹田 英夫
一一〇〇万
九年一月一四日
一 ― 八 ― 二
竹田 義則
一一〇〇万
九年一月一四日
一 ― 八 ― 三
竹田 惠三
一一〇〇万
九年一月一四日
一 ― 九
中ノ瀨 一夫
三三〇〇万
八年一月二〇日
一 ― 一〇
藤井 誠
三三〇〇万
八年一月二〇日
一 ― 一一
吉井 利光
三三〇〇万
八年一月二〇日
二 ― 一
岩﨑 英也
三三〇〇万
九年六月 七日
二 ― 二
竹本 幸定
三三〇〇万
九年六月 七日
二 ― 三
松山 年治
三三〇〇万
九年六月 七日
三 ― 一
木下 妙子
八二五万
九年一月一四日
三 ― 二
荒巻 邦弘
八二五万
九年一月一四日
三 ― 三
楠田 きみ子
八二五万
九年一月一四日
三 ― 四
荒巻 利美
八二五万
九年一月一四日
別紙四
元従業員原告ら就労状況一覧表
氏名
炭鉱名
期間(昭和)及び作業内容
荒瀬 一
伊王島鉱業所
二一年八月~三九年二月 (堀進)
三九年三月~四七年三月 (仕繰)
岩永 健
伊王島鉱業所
三二年三月~四〇年五月 (通気大工)
四〇年六月~四七年三月 (仕繰)
岩永 實
伊王島鉱業所
三一年一二月~三三年四月(堀進)
三三年五月~四七年三月 (仕繰)
亀田 健
伊王島鉱業所
三六年三月~三八年七月 (ゴミ収集車運転)
三八年八月~四四年九月 (坑外貯炭場積込み)
黒木 巖
伊王島鉱業所
四四年八月~四七年三月 (採炭)
小瀬良喜代喜
嘉穂鉱業所
伊王島鉱業所
三九年四月~四五年三月 (堀進)
四五年四月~四七年三月 (堀進)
新立 義光
伊王島鉱業所
二三年六月~二四年三月 (堀進)
二四年四月~二七年八月 (仕繰)
二七年八月~二八年一月 (坑内機械)
二八年一月~二八年三月 (仕繰)
二八年三月~二九年三月 (労働組合専従)
二九年四月~三〇年六月 (仕繰)
三〇年六月~三一年三月 (労働組合専従)
三一年四月~三一年九月 (採炭)
三八年四月~四五年二月 (堀進)
竹田 吉満
北松鉱業所
(神田御橋鉱)
二二年三月~四〇年二月 (堀進、採炭)
中ノ瀨 一夫
伊王島鉱業所
二三年夏~二五年一月 (堀進)
二五年八月~二六年二月 (車道大工)
二八年一〇月~三〇年一〇月(仕繰)
三〇年一〇月~三八年一〇月(採炭)
三九年一〇月~四七年三月(坑内機械)
藤井 誠
伊王島鉱業所
四四年三月~四七年三月 (堀進、仕繰)
吉井 利光
伊王島鉱業所
三五年一〇月~三六年四月(堀進)
三六年四月~三八年三月 (車道大工)
三八年四月~四七年三月 (通気大工)
岩﨑 英也
北松鉱業所
(神田鉱)
二一年一〇月~二五年一〇月(採炭、坑内運搬)
竹本 幸定
伊王島鉱業所
四〇年六月~四二年七月 (堀進)
四二年八月~四七年三月 (採炭)
松山 年治
北松鉱業所
(鹿町鉱)
二六年四月~二七年九月 (坑内機械)
二七年九月~三〇年五月 (坑外工作)
三〇年五月~三一年五月 (坑内工作)
三一年五月~三二年一〇月(坑外工作)
北松鉱業所
(御橋鉱)
三三年一〇月~三七年一月(坑外工作)
荒巻 茂文
伊王島鉱業所
三八年四月~四七年三月 (堀進、仕繰)
別紙五
元従業員原告らじん肺管理区分等一覧表
氏名
管理区分
合併症の認定
決定年月日
荒瀬 一
三ロ
なし
平成四年一月二七日
岩永 健
二
なし
昭和六三年八月二九日
岩永 實
二
なし
平成七年二月一七日
亀田 健
二
なし
平成八年六月一八日
黒木 巖
四
平成七年一〇月一八日
小瀬良喜代喜
三ロ
続発性気管支炎
平成八年四月二六日
新立 義光
三ロ
続発性気管支炎
平成八年二月二七日
竹田 吉満
三イ
なし
昭和六三年九月三〇日
中ノ瀨 一夫
二
続発性気管支炎
平成一〇年四月二二日
藤井 誠
四
平成五年二月一二日
吉井 利光
二
なし
平成七年二月一七日
岩﨑 英也
四
平成九年四月二五日
竹本 幸定
二
続発性気管支炎
平成八年七月二三日
松山 年治
二
なし
平成九年一月一六日
荒巻 茂文
四
平成二年二月五日
別紙六元従業員原告ら労働災害保険給付金受給金額一覧表<省略>
別紙七元従業員原告ら他粉じん職歴一覧表<省略>